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吉原神社

こんばんは。
かなりご無沙汰ぶりの投稿となってしまいました。
申し訳ありません。

今回は吉原神社です。

この吉原神社は、「吉原遊郭」とともに歩んできた神社です。
吉原遊郭は、元和3年(1611)に幕府の許可を得て日本橋芦屋町(現・日本橋人形町周辺)に江戸市中に散在していた遊郭を集めたことに始まります。
しかし、吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655)に現在地である千束村に移転しました。
以後、日本橋芦屋町にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。

この「新吉原」には廓の守護神として5つの稲荷社が存在しました(玄徳(よしとく)稲荷社、明石稲荷社、海運稲荷社、榎本稲荷社、九郎助稲荷社)。
その後、明治14年にこれら5つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。
当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失、震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りし、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、その際新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。
昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失するも、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。

「吉原」というと、江戸の風俗街、というあまり良いイメージを持たない方もいらっしゃるかと思います。
でも、現実にあったわけで、現在もその名残のある町です。
(こんなオバサンでも、ひとりで歩いていてちょっと違和感を覚えたのは確かです)

廓の守護神、と前述しましたが、きっと遊郭の遊女たちもお参りしたのではないかしら?などと思います。
昔も今も、神様や仏様に手を合わせる、ということは同じですからね…
辛くともお参りすれば心が安らぐ…
などと勝手に妄想してみたり…(^^;

実際、吉原神社は現在の風俗街からちょっと離れているので
ちょっと行きづらいな…ということはありません。
ワタシがお邪魔した時、参拝者&御朱印希望者が多く
ゆっくりお参りできなかったので
また、お参りに行こうと思っています。

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吉原神社
台東区千束3-20-2
御祭神:倉稲魂命
    市杵島姫命
浅草名所七福神(弁財天)
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