愛の概念の誕生と、ヒト本来の作り。

私がかつて対人援助職をしていて、子育てに悩むお母さんに出会うと、いつもこの話をした。

人に最も近いとされるチンパンジーは、10頭いないと子育てをしないんだそうです。10頭以下だと、妊娠しても育児放棄をしてしまう。それに近い群れのサルである人が、夫婦二人で、ましてや母親一人で、子どもを育てるなんて、生物学的に間違ってるんですよ(笑)

なんて話を。

それでもなぜ、人間世界は、多くの国と地域で男女カップルのモノアモリーがよくて、ポリアモリーは非難されるのか?という謎に、私の師匠は「愛の概念が生まれたからだ。」と夢のあることを話してくれた。

愛はロマンチックで、それそのものが概念で、美しい偶像のようなものだ。

フィギュアスケートのペアやアイスダンスを見ていると、男女カップルの美しさの最たるものを感じた。(LGBT批判ではない。)愛や、ロマンを感じた。

ぼくらは「ヒト種のサル」であり元々群れの動物である、という基礎の上に、概念としての「愛」が生まれ、死が二人を分かつまで病めるときも二人で支え合い愛し合うことを誓いあったりするのだろう。つまり、基礎と建物は時々矛盾している。

ぼくらはそれらの矛盾に「折り合い」をつけなければならない。

先日同じ世代の友達と話していて、「子どもを産むことになるのなら、一人っ子は可哀想だ。だから同じタイミングで産もう、お互いの家族でみんなで育てよう。」なんていう突拍子もない結論に至ったが、それが実現するかどうかは置いておいて、それもまたひとつの「折り合い」なのだろうなぁ。

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