名のない奴に言葉を持たせる音楽
前頁のようにいろいろとあった2023年、秋ごろから巷ではBADHOPと舐達麻の間で日本語ラップ史上最も大規模なビーフが勃発したという話が界隈を駆け巡った。
「ビーフ」とはヒップホップが好きな人であれば常用語であるが、要するに格好良く言えば抗争のことで、ヒップホップという音楽ジャンルの文化に於いては付き物のゴシップであり、シーンが盛り上がる要素となっている。とはいえ本番アメリカではビーフが起因で当たり前に殺人事件が起こるため、単純に「ゴシップ」などという言葉だけでは片付けられない問題だったりする。90年代に起こった2PACとThe Notorious B.I.Gの東西を跨ぐ抗争は30年近く経った今でも未だ語り継がれている有名な話だが、結局2人ともこのビーフによって命を落としている。それ以降も有名どころでいけばNasとJAY-Zのように、事あるごとに著名なラッパー同士が揉めて一触即発状態となるような出来事が幾度とあったのだが、2010年代のシカゴのように若いギャング同士の抗争が各地で頻繁に起こるようになり、その中で名の知れていないラッパーが命を落としたり、チーフキーフのようなラップスターが誕生するなどした。この辺の話はそこまで詳しいわけではないので掘り下げないが、そんな抗争が日常茶飯事の極悪都市シカゴで生まれたドリルミュージックが世界各地に拡がり、各地でギャング同士の抗争が起こり、そのギャングを代表するラッパーが相手をディスる曲を発表し、そのレスポンスとして殺人事件が起こる、、、といった流れを延々とやっている状況のようである。
DTMの普及から自宅に簡単にスタジオを構えてレコーディングが容易に出来るようになった事のほか、その作った曲をSNSやストリーミングサービス、動画投稿サイトなどで簡単にアウトプットすることが出来るようになったことも2010年代以降におけるビーフの具体化の理由だろう。おそらく何十年も前からギャング同士の抗争というのが各地で頻繁に起こっていたのだろうが、現在はそんな理由もあって一般人でも逐一流れが確認できるようになり、頻繁に発生しているように感じているのかもしれない。ただ実際にスピード感のあるビーフが繰り広げられていて、ディス曲が発表されると数日後にアンサーが返され、同じくらいのスピード感で銃撃事件が発生したりしている様子である。
日本では当然ながら本場USのように殺し合いをするような事例はない。ビーフといっても曲で罵り合いする程度のもので、USのようにビーフで命を落とした被害者を誹謗中傷するリリックを平気で乗せる行為などはもはや日本人の性格からすれば考えられず、速攻でネットで炎上し当事者たちは糾弾されるだろう。宗教的な側面などから海外と日本では死生観の相違があるかもしれないが、死と隣り合わせのヒリヒリした生活を続ける海外のギャング達の価値観を日本人に限らず一般人が理解することは到底不可能である。まあそもそも元々ヒップホップという音楽は暴力行為の代替として誕生したものであり、結局暴力行為へ繋がってしまう本場USの事情が本当に正しいと判断すべきなのかは正直難しいところである。
日本国内では「さんぴんキャンプ」前夜とも言うべき1995年にはECDが当時メジャーシーンで既に活躍していたスチャダラパーに対して少し皮肉めいた曲(「DO THE BOOGIE BACK」)を出したり、伝説のLAMP EYEの「証言」にてスチャダラパーをディスるなどの動きはあったが、当然事件などに至ることはなかったというか、知る人ぞ知る話でヒップホップリスナー以外はその話に見向きもしなかった。KICK THE CAN CREWのKREVAが過去に参加していたBY PHER THE DOPESTがニトロのGORE-TEXを曲中でディスっていた話など更に知る人ぞ知る話だ。逆に80年代後半に始まった桑田佳祐と長渕剛、90年代後半にマスメディアを賑わせていた野村沙知代と浅香光代のビーフの方がよっぽどUSのヒップホップに近い緊張感があったと思う。そもそも日本の芸能興業に関しては昭和の時代から暴力団との関係が深い。これはかの島田紳助元司会者や中田◯ウス氏ではないが、著名になればなるほどトラブルが増えるため、その点と比例して強力な後ろ盾が発生するものと思われる。なんだかんだ言っても日本の場合は裏社会の秩序を暴力団が護っている部分がまだまだあるので、所詮この国の「ストリート」の話というやつはは末端の話になってしまうのかもしれない。逆にUSなどは秩序を保つ組織がないが故に各地でギャングが生まれ、秩序なく殺し合いをしているのかもしれない。
2000年代に入り一般のヒットチャートにもヒップホップが入り込みシーンが大きくなってからはある程度規模も大きなものになった。TBHとライムスター、K DUB SHINEとDev Large、DABOと漢、VERBALとSEEDA、SEEDAとギネス、KREVAとマッチョ、ノリキヨとQN、、、など名の馳せたラッパーの間で盛んにビーフが勃発するようになった。抗争とまではいかないが、漢とKNZZのビーフについてはステージ上で血が流れるような暴力的な事件もあった。表面化はしていないが、漢曰くかつて揉め事で自身のクルーの1人が相手を刺すような事件もあったりしたようだが、それでも世論を巻き込むような大きな話にはならなかった。それ以外にも大なり小なり各地で見えないところでは暴力沙汰はあったのかもしれないが、当然ながらUS規模とまではいかないような話であった。
その中で様々なシーンを通して大きな話題となったのはZEEBRAとDragon AshのKjの件だったはずである。ZEEBRA率いるキングギドラの「公開処刑」が収録されたアルバムがリリースされた当時私は高校3年だったのだが、前頁の話ではないが当時はロックリスナーだったため何故Dragon Ashがあれほどまでに曲中で批難されているのかが理解出来ず、非常に困惑した思い出がある。実際あの曲のリリース以降Dragon Ashを見る世間の目が若干変わったというか、少なからず田舎者である私やその周りも「Dragon Ashはダサい」という認識に当時陥っていた。当然私は今彼らを日本屈指のイカしたロックバンドとして認識しているし、前妻MEGUMIとのビーフ以外は非常に好感を抱いている。
そんな日本国内のヒップホップのビーフの歴史の中で今回のBADHOPと舐達麻の騒動はこれまでにない規模での騒動に発展したように伺える。この双方のグループだけでなく両陣営に次々と加勢が入り、仕舞いには舐達麻が出演を予定していたイベントが脅迫などにより次々中止となる事態となった(この辺の真実は不明)。また、M-1チャンピオンの令和ロマンがラジオでネタにするぐらいの話となっていた。なぜここまで拡大するに至ったかといえば本場US同様にSNSなどの普及も挙げられるが、国内のヒップホップシーンが隆盛を極める状態となったからであろう。私がヒップホップの文化に触れ始めた学生時代、それこそ上述のようにオリコンのような一般のヒットチャートに多少ヒップホップの楽曲が入るようになっていたが、どちらかと言えば従前のJポップに近いニュアンスの楽曲が台頭していた。現在のヒップホップの形に近いタイプの楽曲はどちらかというと現状死語に近いインディーズといった括りの中に居て、アンダーグラウンドな音楽を好む層からの評価が高かった。ロックやパンクを信仰していた私もその部分が合致し、THA BLUE HERBやMSC、SCARSなどといったある種のカウンターカルチャーのようなグループに夢中だった(その辺については過去の記事に記載しているので併せて読んで頂ければ幸いです)。
当然ながら上述のようなラッパー同士のビーフが起こればテンションが上がるようなヘッズだったことは間違いない。
2010年代に入り一気に一般大衆の世界へ流れることになる。要因としてはスカパーで放映していた小藪一豊MCの番組「BAZOOKA!!!」の企画だった「高校生ラップ選手権」とテレビ朝日で放映していた「フリースタイルダンジョン」だろう。その2つのコンテンツを抜きにしても2000年代後半にはANARCHY、2010年代前半にはKOHHのようなスターも誕生していた。私自身2000年代後半からはMSCなどが出演していたRAW LIFEというフェスの影響からテクノやハウスといったダンスミュージックへ傾倒したため、その辺りから2010年代中期ぐらいまでの間のシーンの動きには疎くなっていた。しかし先の2つのコンテンツについては当時SNSなどを中心に話題にもなっていたこともあり、それなりに視聴していた記憶がある。この2つのコンテンツの最大の功績は、以前からも存在していたフリースタイルラップのバトル文化を広く一般社会に普及させ、競技人口を増やしたことだろう。
そしてT-PablowとYZERRという双子のスターを輩出したことも大きな功績だった。双子でイケメンで不良で、、、というメディアが欲しがるような要件が揃っており、当然ながら人気を博していた。しかしながら実際蓋を開けると神奈川県川崎市の彼らの住んでいた地区はかなりハードな環境で過ごしていたようで、彼らの後輩にあたる世代がニュースにもなるようなリンチ殺人を起こしたりと、ある意味彼らを通じて「川崎」という街の現実を知ることが出来たのも収穫のひとつだろう。もともと川崎には伝説的クルーであるSCARSが居たが、正直メンバーのA-THUGの取り敢えずハスリンなリリックなんかを見たところで川崎がどんな街なのか分かる訳がなかったものの、あのSCARSが誕生した街となれば中々物騒なところだったという推測はある程度出来た。しかしT-PablowとYZERRが幼馴染と結成したBADHOP初期の作品などを聴いたり、磯部涼著の「ルポ川崎」、そんでもって現Smile up社長・東山紀之著の「川崎キッド」を読むと一層街の情景が頭の中に浮かび、USのHIPHOPの中にあるようなスラムやゲットーに似たようなイメージに駆り立てられた。ちなみに私の関東に居る従兄弟の奥さんが川崎のそれこそ南の方の出身なので、以前会った際に川崎の治安について聞いたことがあったが、「そんなん川崎だけじゃなくても悪い人は悪いし普通の人は普通でしょ」と一蹴された記憶がある。まあそれを言われてしまえば後何も言えなくなるのだが。
そんなスターダムにのし上がった双子 as 岩瀬兄弟が幼馴染達と結成したのがBADHOPなのだが、当然メディアツールで名を馳せた経緯もあって、多少色眼鏡で見られることも多かったのだろう。ビーフ勃発時にYZERRがインスタライブで語っていたが、かなり苦労したように伺える。実際に「高ラ」出身者は変態紳士クラブでお馴染みのWILYWNKAやLeon Fanourakis、ちゃんみな、Red Eyeといった後々有名にスターとなったラッパーがこぞって出ていたのだが、その中でも岩瀬兄弟の待遇は別格だった。完全に企画のオーガナイザーであるZEEBRAが肩入れを行い、自身のレーベルからリリースさせるなど扱いが異例だった。そこは本人たちの若さと「ハードな環境から抜け出したい」という気持ちが合致していたのだろう。
そんな状況に直接茶々を入れたのがRYKEYと舐達麻のBADSAIKUSHだった。よくよく考えてみると、今回のビーフ以前にこのスター街道まっしぐらの双子を直接曲でディスるような動きをしたのはこの2人だけであった。この騒動が起こったのが2019年の話で、何故数年経ってから今さら騒動が再燃したかという話は誰かしらが簡潔に纏めたサイトなんかを見ていただければ早いのでどうぞ。
2019年、曲の冒頭から「バール買いに行かせた今藤」というインパクト絶大の名曲「FLOATIN'」でトップシーンに入り込んできたのが舐達麻だった。とはいえどそれまでのキャリアも割と長く、2015年にリリースされたフルアルバムは兼ねてから名盤と評価されていたようだった。私もこの「FLOATIN'」にて存在を知り衝撃を受けたうちの1人なのだが、おそらく私のように2000年代に日本のヒップホップを聴いていた世代には直球ど真ん中だったに違いない。寧ろその時代の雰囲気を更にガラ悪くした感じが彼らだった。それこそ上述のSCARSなんかを彷彿とさせる(というか寧ろ取り巻きにSCARSのSACが居る)雰囲気が古参のヒップホップリスナーを唸らせたものと思われる。当時舐達麻を「田舎のDOWN NORTH CAMP」と誰かが言ってたが、そんなDNCのISSUGIがT-Pablowとのラップバトル(KING OF KINGS 2016 東日本予選)にて放った「HIPHOPは名のない奴に言葉持たせる音楽」という名パンチラインの如く、地下から舐達麻は頭角を表したのだった。
【長くなったので続く】
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