ほかのものたち

私たちは自分以外のものに共感する能力があるといわれています。それはどのようなことなのでしょうか。他人の気持ちを理解することは社会生活を送るうえでとても大切なことです。そのように私たちはそれを理解するのでしょう。

人ではないものについてまず考えてみましょう。

「犬」や「魚」の心はわからないですね。もちろん扱いに慣れた人であれば、人と同様に「犬」や「魚」の身の回りで起こったことに対する反応を予測することはできます。でも「犬」や「魚」の心がどのように存在するかはわからないですよね。なぜなら私たちは他人になったことがないように、犬や魚にもなったことがありませんから。犬の嗅覚が実際にはどのように感じられるのか、魚が側線で感じる感覚はどのようなものなのか。はたして、動物たちは知能や感覚器官が違うだけで私たちと同じような意識を持っているのか。

これを延長していくと、もちろん「植物」にも同様のことが言えるわけですが、それだけではなく、道端に落ちている「石」や誰かが作った「人形」などについても同様に意識を持っているかどうかというのはわからないのです。なぜなら私たちは「石」や、「人形」になったことはないのですから。ただ、「石」が痛みに反応することがないということだけです。「人形」が涙を流すことはできないというだけです。反応ができないということが意識がないということにはならないのです。

ちょうどいわゆる哲学的ゾンビを人以外のものに世界全体まで広げたような感じですね。

結局のところ私たちには自分以外の他者の意識については何もわかりません。それでは、どのように他者を理解したらいいのか。この問題を太古の人々が最も素直に解決した方法が、「自分と同じように見なす」ということです。

すなわち、石や植物に「自分と同じように」意識があるということです。さらに科学のない時代であれば、そういったものに人と同じような人格まであるとみなされていました。それが、アニミズムの基本的な考え方だとおもいます。

そしてこの考え方は幼児などに見られるように、現代においても、論理的な理解とは別に私たちは感覚的には世界をこのように感じているように思われます。

もちろん、今では科学が進歩したので、「石」や「人形」が人と同じように、痛みや怒りなどを感じることはないということはわかっています。それでも「石」や「人形」になったことのない私たちにとって(私たちとは違う有り方かもしれませんが)意識がないと断言することはできないのです。


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