芸術

他人の気持ちからの脱線で書こうとしたら長くなったので別に書いてみました。

持っている記憶が変われば物事に関する感じ方が変わるということを書きました。

このことは言葉に限らず他の感覚にも言えます。再び音楽の話になってしまいますが、ドレミファソラシドのレとラの音を抜くと沖縄の音楽の音階になります。これは沖縄について何も知らない人が聴いても、当然沖縄を想像するわけはありません。しかし、沖縄音楽を知っている人あれば、当然沖縄を思い浮かべてしまうのです。たとえば、それが三味線ではなくパイプオルガンやトロンボーンのような沖縄音楽にあまり使われない楽器で演奏されていても、あるいは楽器ですらないもので奏でられていても。逆に三味線でヘビーメタルを演奏していてもどこか沖縄を感じることができると思います。つまり、抽象化されたパーツもまた記憶に結びついて感情を作り出します。上記の例でいえば沖縄について人により懐かしみ、嫌悪感、喜怒哀楽の様々な感情が結びついて現れると思われます。

ここで音楽であれば、音の大きさや高さ、リズムや和音などいろいろな要素がたされます。この中には、本能的にも、すなわち記憶によって学ばなくても人の体のつくりとして、気持ちいいとか、気持ち悪いとか思われる要素がたくさん入ってます。

すなわち、体のつくりに依存する本能的な「感覚と感情との結びつき」と、記憶に依存する文化的あるいは個人的な「感覚と感情との結びつき」を組み合わせて、感情を引き出すように「感覚」を刺激するものが芸術だと思われます。


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