正義の問題

カルネアデスの板だとかミニョネット号事件、5人を助けるために1人を殺す選択をできるかなど近年はやった正義の問題について。

この種の問題は意図的に誰かを殺す行動をとることで誰かを死なせずに済ませたり、自分が行動しないことによって、誰かが死ぬが誰かが助かる事故を防止しなかったりとパターンを様々に変えて出されます。重要なことは人数や状況を変えながらも、必ず誰かが死ぬということです。そして、人は誰かを殺すことが許されるのか、何をもって殺したといえるのかということが問われます。回答する人々は、不作為(何かをしないこと)は行為に含めないとか、あるいは死者の人数によって判断し、死ぬ人数が少なくなる行為を正当化したりします。

そして大抵は結論はでないで「各自考えてみるように」等のかたちに終了されることになります。

また、なぜ解決できないかといえば、この種の問題に答えを出してしまうと、その死んでしまう立場に立った時に、自分、あるいは自分にとって大事な人が死ぬことを受け入れなければならくなるからです。

倫理の問題などではなく、なぜ解決できないかという人の感情のあり方の問題としてとらえた方がわかりやすいのです。あるいは倫理は感情と深く結びついていて、感情には絶対に受け入れないものがある、と考えてもよいかもしれません。

この質問に対して悩めば悩むほど人の死が、いかに避けなければいけないものであるかに頭を悩ますことになります。その時間は、私たちが人が死ぬことの重大さや殺人の非道さを脳裏に焼き付けている時間といえます。つまりこの問いは、解けないで悩む時間に人の命について考えるということが大事な問題です。

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