他人の気持ち

人の気持ちを考えるということは社会生活を送るうえでとても大事だなことだと思います。ところがすねた人は、私の気持ちなんて分からない、と言います。

ここで、例えば誰かと全くおなじ気持ちになることは可能なのか、人の気持ちがどのようにわかるのか考えてみます。

まず身体で感じることについてかんがえます。感覚器官については、どうしようもない違いがあります。視力、聴力も違うし、皮膚の面積や舌の味をみる器官の構成から、神経のつながりもきっと違うでしょう。性別や年齢による違いもあるでしょう。

次に頭の中のことについて考えます。言葉について考えてみると、言葉は使われるたびに記憶が上書きされていきます。たとえば、「犬」という言葉にかわいいという感情を湧く人も怖いという感情を持つ人もいるでしょう。例としてビートルズの「let it be」という曲の一節について書きます。この曲の歌詞に「mother mary」という女性が出てきます。この曲を何も知らずに聞くとただ人の名前だと聞き流してしまうかもしれません。キリスト教についての知識つまり記憶を持っている人であれば、聖母マリアを思い浮かべ、厳かな印象を抱くでしょう。さらに、この曲の作詞者ポールの母親の名が「mary」であり、その母親はポールが14歳の時に亡くなっていると知れば、曲に感傷的な雰囲気を感じることになるでしょう。

つまり自分が誰かと同じ気持ちになるためには誰かと同じ記憶を持たなくてはなりません。身体について最初に言ったことから同じ記憶を持つということはありえません。

さらに、例えば将来、記憶を植え付けるマシーンができたとしても、誰かの記憶と同じように感じるには自分の記憶を消さなくてはなりません。なぜなら、自分の記憶と誰かの記憶を一緒にもっているときに感じることは誰かの記憶だけを持っているときに感じることとは違ってくるからです。そして、もし自分の記憶を消して誰かの記憶だけで感じたことは、自分が感じたとはいえません。すなわち自分以外の誰かの気持ちを真に理解することは不可能だと思うわけです。ただし完全には理解はできずとも人には共感するという性質があるので、感情を良い方向に持っていくことによって、自分もよい感情を得られるということについては考えてみなくてはなりません。

蛇足ながら、書きながら「君の心が分かる」という中島みゆきの歌詞を思い出したのです。

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