2020.12.17
最近の記録。
うれしいこととうれしくないことは互い違いにやってくるし、けど意外と同居できたりもする。
昨日ははじめましての人と冬の散歩をした。
これまたはじめましての景色と川と空と冬と、風が吹くたびに気持ちい~~と寒い~を繰り返した。
何もしない、肩の力が落ちた自分をそのまま受け入れてあげること、大丈夫だよと言ってあげること、とても難しいけど、あぁ、このときの私そのまんまだって実感できたときはなんていうかすごく美しいと思う。飾らず嘘をつかず動物の姿そのままそこに在る、みたいな。生息してる、みたいな。そういう時間。
こんな表情した覚え一切なかったのに、いつの間に…!みたいな写真を見て、びっくりしたけどうれしかった。私はちゃんとそのまま生息できている。笑えない時間ごと生息している。
振りむいてほしい人に全く相手にされなくても、私のことを魅力的だ、素敵だと言ってくれる人がいる。
どんな人もどこかで出会うのだと思う。
なかなかめぐりあえなくても、場所やタイミングが一つ掛け違えているだけかもしれない、どこかにはいるのだと思う。
少し前までは振り向いてもらいたい人に振り向いてもらえないことにショックを受けて、あーあ所詮わたしなんてそんなもんだよな、目の前に出てきてしまってごめんなさいなんて思っていたけど、別に私が悪いわけじゃないよな。
その人にとっては違った、ってだけで。
なににも頼らず、文字上の私じゃなくて、いま目の前に現れた最新のわたしを受け止めて信じていいねと言ってくれる人。
そういう人たちに向けて、私はどんな力添えができるのだろう。どんな楽しいことを一緒に体験していけるのだろう。
振り向いてもらえない時間や空間を知っているから、今ここに立つ私を見てくれる人、わくわくしてくれる時間や空間を大切にすることができる。
そして私を信じてくれた人たちが素敵なモノや体験をつくりだす度、幸せな気持ちになる。そんなあなたに受け止めてもらっている自分も大切にすることができる。
ゆるやかにでも、そういうつながりの中でもらった温かさでじんわりと部屋を暖められるような、その部屋の中でいろんなひとと暖を取りながらイタズラしたりゲームしたりふざけあえるような、そういう日々を積み重ねていきたい。
綺麗ごとのようなことでも、クソみたいな日々の積み重ねにそういって笑っていられることってかっこいいじゃんな。と思う。言わないからって知らないわけじゃないんだよ。
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似たもの同士は集まるというように気づいたら私の周りにはやっぱり書く人、書くことで表現と共に生きている人が多い。
上手さじゃなくて心がそこに在るかどうかがその作品の温度を変えると思うのだけど、みんな日々鍛錬を積んでいるのだなぁ。書くことで、撮ることで、縫うことで、着ることで、踊ることで、人それぞれの表現が人それぞれの息の仕方を生みだしている。みんな息するように壊れないように、生みだしている。
だれも振り向いてくれなくていいから、どこの目にも触れなくてもいいから、と思って底の底から掘り出した私なりのお宝をつくり続けたい。追いかけ続けたい。砂利からはじまり、爪に食い込んで痛くて時に血をにじませながらも夢中になってつくってしまった、ぴっかぴかの泥団子みたいなもの。
偶然なにかのきっかけで観られてしまったときに、一人でぼそっと「素敵だね」と思ってくれる人と出会えるようなそんな奇跡が起きたら飛び上がるほど嬉しい。そんなあなたとの出会いはきっと一生大切だ。と、思えるようなもの。目指すわけじゃなくその偶然を余すことなくよろこびたい。
恥ずかしがっているだけじゃ次にいけないかもしれない。私が行きたいつぎに。
と、おもっている。大切な人たちと会えたから。
アイスを買います