20240326

死に損なったまんま生きていて早3年が経とうとしている。
去年はほとほと頑張った、頑張ったけれど、その頑張りが正しかったのかなんてわからない。
ただ、頑張らなければ生きていけなかったから頑張らざるを得なかっただけで、結局なにかに成れたわけでもなんでもない。
大切なものやひとは徐々にメンバー交代みたいに人生にひょっと現れたりいなくなったりして、結局ひとりのまま変われない変わらない自分が居た。

なんにもない。なんにもないことを受け入れる度量もない。
たのしいことがしたい。ひとりはいやだ。でも、誰かと居られるような潔白さなんてもう無いかもしれない。わたしってただ汚れて生きていく。やだな。でも汚いことって嫌いじゃない。曖昧でいたい。曖昧でいたいのに、曖昧でいられなくなっていく。

布団の中で音楽を聴きながら泣いている。構図だけ見れば中学生の頃となんら変わっていなくて、成長しない自分に疲れる。
あの頃との違いといえば、声を殺して泣く必要があったかどうかで、もしあのとき声を出して泣くことが出来ていたら何か変わっていたのかもしれない。
でも出来なかったし、そのまんまで生きてきちゃったのだから、どうにもこうにも。

どうなりたいか、何が欲しいかなんて正直どうだっていい。明日なんか要らないし。
朝が来なければ良いと思うし、夜になんてならないでほしいとも思う。どっちだっていい。どうせひとりだった。

別に分かっている。友達は少ないながらたしかにいて、それはとてもありがたいことだと思う。けど、それとこれとは別で、わたしはいま友達とは無縁で無関係の、個人的な孤独を処理しきれないでいる。

死にたいとかじゃない。どうでもいい。

誰かが優しくしてくれて嬉しかった。優しくしてくれるのに、死にたかった。優しさを優しさのまま生きる糧に出来ない自分が、ままならなくて嫌だった。

↑を書いていた日から結構な日数が立っているのに、考えていることは何も変わらなくて、自分の成長しなさにほとほと呆れる。

言い訳なのか事実なのか、そのどちらもであると思うけれど、鬱になってから本当に読書も何も手につかない。大切なはずの音楽や文章が心に響かなくて、結局それらは私を生かしはしないことにまた泣いてしまう。

こんな薬漬けで正常らしく、それらしく振る舞い続けることに意味なんか無い。生きていたい。死にたい。

ほんとうは、あなたと生きていきたかったよ。

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