市バスのあった光景1 寺町通

寺町上立売〜出雲路橋

設定(戦後):1957年8月1日
廃止:1969年10月1日?

 現在、京都市バス37系統は河原町今出川から加茂川沿いに北上して途中で紫明通経由で烏丸通へ経由するルートをたどっている。始点終点は四条河原町と西賀茂車庫で、利用者も多い系統である。
 この37系統、誕生はかなり古く、1957年に設定されてその時点ですでに上賀茂と四条河原町を結んでいた。細かい経路変更はあれど大筋は昔からほとんど変わっていないしその途中で加茂川沿いを経由するというのも特に変わっていない。
ただ、設定当初からしばらくの間は途中まで加茂川沿いではなく寺町通を経由していた。どうしてか、理由ははっきりわからない。加茂街道じたいはかなり昔からある街道なので、当時は道が開通していなかったということは考えにくい。
 経由していた区間は、寺町今出川〜出雲路橋。
 寺町通は今でも商店がたち並んでいて出町商店街の延長のような趣があるから、そこを通るように路線を引いたのかもしれない。今でこそ繁華街はバスを迂回させるべきものとなっているが、当時は一般車両が今ほど多くなかったのでむしろ積極的に通してたようだ。60年代後半〜70年代あたりにかけて、それまでは商店街となっていた通りを経由していた系統が経路変更や廃止で通りから姿を消すという経路変更がしばしば行われている。

 河原町今出川までは今と変わらないので、そこから北上する旧独自区間をみていってみる。バス停名としては、寺町今出川、鶴山町、上御霊神社の3つが設定されていた。

 寺町今出川は河原町今出川の交差点からごくわずかな距離しかないので、他の系統ではこんなところにバス停は設けられていなかったが、37系統に限っては今出川通から北上したところにバス停が設けられていたらしい。もしかしたら、河原町今出川は通過していたのかもしれない。

寺町今出川


 寺町通りは現在では2車線となっている。昔からすでに都市化が進んでいた範囲に入ることを考えるとおそらく道幅は昔から大きくは変わっていないのだろう。せいぜい側溝が暗渠化した程度だろうか。当時としてはまあまあ大きな通りだったのかもしれない。

 商店街の延長のような区間がとぎれ、寺町上町売の交差点にたどりつく。


寺町上立売上る付近


 古い住宅地図だと、角の北西角にあったタバコ屋のあたりにバス停が設置されていたらしい。交差点では通過した直後に停車するというのがセオリーである。

 この次の鶴山町は町名で、通り名ではない。ちょうど東西方向の通りとしてはっきり名のある通りがないためだろうに。鶴山町は(京都の中心部にしては)かなり広い町で、近辺で見かける住所表記だと「東鶴山町」「西鶴山町」となっているものもみかけたので自治会としては2つに分かれていたりするのかもしれない。鶴山町公園という児童公園が町のまんなかあたりにあって、ちょうど寺町通を北上すると右手に見える。
 数年前まではこの公園の南西にセブンイレブンがあった。もちろん37系統がここを通っていたときは存在しなかったのだが、バス停があったのはこのセブンイレブンの前だったようである。セブンイレブンの前に電話ボックスがあり、そのとなりに並んでいたようだが今はその電話ボックスがもうない。


鶴山町公園

 上御霊神社前は寺町通りよりは少し西にあるが、寺町通と交差する上御霊通がそちらへとつながっている。この通りにあったようで、分かりやすいっちゃ分かりやすい。


神社の看板
上御霊通

 寺町通はここまで2車線だがこの通を境に北側は一方通行となる。この一方通行は南行なので、現在はバスどころか一般車両もこれより北上することはできない。もちろんかつてはそうでなかった可能性もあり、その場合は鞍馬口通まで結んでいる。
 古い経路図などをみても、寺町通からどこで加茂街道に合流していたかがはっきりわからない。1965年のバス停路線図を見ると「上御霊神社前」まで寺町通沿いのバス停が直線で結ばれており、そこで少し折れ曲がって「出雲路橋」につながっているし、くだんの道幅を考えてもたぶんここで合流していたのだと思われる。

加茂街道と合流 (2007年撮影)

 この区間を37系統が経由するのをやめたのがいつか、というのは、実は正式な記録に記載がない。しかし、1969年の京都新聞に路線変更の小さな記事が掲載されていて、1969年10月1日の路線変更でほかのいくつかの狭隘系統とともに廃止されていたことがわかる。
 また、1970年10月1日にここを通過しているバス停3箇所が廃止されたという記録が残っている。この当時の京都市バスはたいてい供用を止めてから1年でバス停と路線免許を廃止している(京都市交通局独自の事情ではなく当時の運輸省の規定などの都合かもしれない)ので、辻褄は合う。

 実は戦前にも、この区間をバスが走っていたことがごくわずかの期間ではあるがあった。1930年2月7日に設定された7系統がそれだった。
 この系統はかなり変わった系統で、金閣寺と出町柳を結ぶという系統だった。これだけなら何の異様さもない観光系統のひとつのようだが、いうまでもなくこの2つの地は東西に大きく離れている。その移動を、鞍馬口通経由でしていたのである。今では鞍馬口通というと鴨川以東の東鞍馬口通を別にすればバスどころかちょっと大きめの乗用車だって通るのがためらわれる道幅のところがほとんどだが、当時は通りの中では比較的幅広だったのだろうか。
 設定されたのは1929年8月で、その設定当初は下鴨中通を経由して鞍馬口通で西進・出雲路橋を渡っていたのだが、1930年2月の経路変更でまずは今出川通に出て少し西進してから寺町今出川を経由し、そこから寺町鞍馬口まで北上して鞍馬口通に入るという経路を使って循環する系統になった。理由などはいっさい不詳である。しかし、戦前は鞍馬口通までバスが走っていたようだ。今では一方通行となっている区間なのでちょっと想像し難いが、当時のバスなら可能だったのだろう。
バス停についても当時どうなっていたかについてはほとんど記録がないのだが、「本満寺前」「上御霊道」が古い市バス史史料に見える。それぞれ、のちで言う「寺町上立売」「上御霊神社」のあたりにあったのだろうとは推測される。多分実際にはもう少しこまかくバス停が設定されていたようなのだが、それらのバス停の名称などについては不明。
 この系統はその後同年6月に廃止されており、寺町通を通るバスもこのときに消滅した。その後は、上の37系統の設定される28年間の間、市バス路線の設定はなくなっている。

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