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中学生の頃

仕事=バスケットボール(ありがたいことに現状バスケ1本で生活させていただいてます。)

将来はバスケットボール選手になるんだろうと信じてやまなかった小学6年生。(ミニバス全国優勝常連の監督が4年生中盤、急にチームに移動してきてから1勝もできなかったチームが6年生時、県での大会や練習試合を含め負けなしの1年間を過ごすことに)

中学生になり最高の担任に出会い、その人のような学校の先生になることを決意。(有言実行をスローガンに体育大会や合唱コンクールなどクラスを一つにして常に1位を経験させてくれる先生、剣道で日本一になっている方)

担任から、【スポーツ推薦で高校、大学と行けないと到底俺にはなれない。】と話をしてもらいバスケをより頑張ることに。(完全に先生を信頼していたのでそのまま鵜呑みにしました。)

毎日朝晩ランニング、学校から帰ると家の壁につけてもらった簡易リングでシューティング、近くの縦に長い壁とツーメンダッシュ、DFフットワーク。(走らないとご飯出てきませんでした。。。)

今考えると変態的な練習量をこなしていました。(基本的にこの頃、漫画やアニメばっかり見ていました。変わってるのはバスケ漫画ではなくサッカー漫画のシュートや俺たちのフィールド、ガンバリスト駿などを読んでモチベーションを上げていました)

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今では到底考えられませんが、当時県内で一番荒れていた中学校に在学していたので、校内カツアゲやトイレでの喫煙、他校との喧嘩、金属バットを持った先輩が体育館をウロウロ、週一回窓ガラスが全て割れるのが日常でした。(これはまだ書ける範囲なので甘々な部分です。。。

本当に正反対の世界でしたが、この世界をなぜ僕が切り抜けられたのか。

要因があります。それは、、、

授業終了直後、バスケ部の体育館練習の前に1年生から3年生全員で外周を走るんですが(100人ぐらい部員がいて練習前に5km走って上位20人が体育館に入れるシステム)その時に学校で一番ヤバい先輩(強いじゃなくヤバい)が金属バットを校庭で振り回しながらこちらに近寄ってきて【こん中で一番バスケ上手い一年どいつや?】と上級生に質問。

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レギュラーメンバーの先輩方はその場にはおらず、補欠の先輩が【あいつです。】と僕を指差して生贄を差し出すかの如く完全なる死刑宣告(最初から体育館メンバーに入っていたのでそこの私情も確実に含まれていたのではないかと)

【お前か、、、なんやミニバスは全国出たんか?どこや?でお前誰や?調子乗ってんのか?】(はい、マシンガン質問。死んだ。。。さっき金属バットで2年の先輩がお尻しばかれてるの見たんだから、、、骨だけはやめてくれ。)

【ミニバスは椿井です。全国出ました。ミナミ ユタカといいます】(覚悟決まりました。足は捨てましょう。今日から筋トレ頑張ります。)

【は、、、お前舐めてんの?名前ミナミ ユタカ?俺もミナミ ユタカやけど。名札持ってこい、、、あっホンマや!で、ミニバス椿井やったら野崎先生やろ?俺も習っててん!嫌いやったけど!そうか、お前弟や!バスケも上手いみたいやし!いいな!ええわ!イケてる!とりあえずな、みんなにゆうとくから!頑張れ!】(完全に耐えた。帰り際にまた違う先輩のスネ金属バットでどついてたけど耐えた。これぞ強運。怖すぎて24年も前の出来事ですが鮮明に覚えています。次の日全校集会で同級生の不良に禁煙パイポを【これ持っといて】と渡された直後、持ち物検査になり先生に取り上げられて視聴覚室でボコボコにされました。強運終了のお知らせ)

あっこれバスケの話になってない。。。(中学校のエピソードがトラウマレベル)

とりあえず一番ヤバい人と同じ名前で恩師が同じだったことでクローズ実写版中学校の生活を序盤を切り抜けることができました。

2へ続く。。。(道のりは長い)





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