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異次元旅行の映画たち(3)

前回、前々回に引き続き、電影と少年CQの題材となった映画たちについて解説を加えていきます。今回で最終回。

★『Let Me In』

題材映画:『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008年/スウェーデン作品/トーマス・アルフレッドソン監督)
作曲:teoremaa / 作詞:長田左右吉 / ダンス振付:Rikako

もともとは1989年のファミコンソフト『MOTHER』をモチーフにした曲が欲しくて、でもテレビゲームって映像表現だけど映画じゃないって言われそうだなあとか思って、ジュブナイルのちょっと切なくてちょっと怖い冒険映画ということで2008年の吸血鬼映画『僕のエリ』を題材にしました。
最初、『MOTHER』題材で進めていたので、ファミコンっぽい音だったらteoremaaさんの右に出る人はいないとお仕事を依頼させていただきました。なのでこの曲には『MOTHER』の8bitで綴られる美しいメロディのエッセンスが多少残っていて、そこがこの映画の舞台となる年代(正確には不明だけど90年前後)の雰囲気ともかぶさっていて偶然だけど上手くいったなと思います。

この映画についてよく語られることが主人公の吸血鬼少女エリのボカシ問題です。原作を読むと彼女は吸血鬼になる前は男の子で過去に去勢されて少女として生きているという過去話があります。映画では彼女の性器に深い傷跡があって、そのことを示唆しているのですが、日本公開版では女性器は映しちゃダメなのでそのシーンにボカシが入ってわけのわからないことになっています。
映画興行の倫理的問題については語りませんが、この映画にはエリのような、少年と少女の中間的存在(そして人間とモンスターの中間的存在)の他にも様々な中間的な存在が登場します。大人のような子供、子供のような大人、女の子のような男の子、優しい殺人鬼……『僕のエリ』はそんな曖昧な位置にいる彼らがとても美しく(同時に恐ろしく)思える作品です。

電少の演出もこの『僕のエリ』の、定型には決して当てはまらない美しさや恐ろしさに結構影響を受けていて、『Let Me In』は電影と少年CQの美しさを象徴する曲になっているなと思っています。

★『Freaky,Freaky,Freaky,Freaky』

題材映画:『まぼろしの市街戦』(1966年/フランス作品/フィリップ・ド・ブロカ監督)
作曲:しずくだうみ / 作詞:長田左右吉 /ダンス振付:Rikako

この曲をしずくだうみさんに依頼した頃、いよいよアルバム製作に本格的に動き出していて、以下4曲はアルバムを作るための足りない要素を補うような形で作っております。この曲の場合、ハイテンポ、短い、デタラメ、カワイイ、ちょっとイジワルの要素を求めてます。
しずくださんは普段“闇ポップ”を名乗る暗めの曲を得意とする方ですが、ずっとしずくださんの能天気で楽しい曲も聴きたいなと思っていたので、(生意気にも)彼女を演出する気持ちで製作いたしました。

題材映画の『まぼろしの市街戦』もまさにテーマのデタラメ、カワイイ、ちょっとイジワルをそのまま映像にしたような作品です。
第一次世界大戦中のフランスの田舎街にドイツ軍が侵入、爆弾を仕掛けたため精神病院の患者たちとサーカスの動物たちを残し、住人は全員避難。街は狂人と動物たちのデタラメなパラダイスになってしまう。でも本当に狂ってるのは戦争で殺しあってる(自称)正常者の方なんじゃないといった皮肉が込められた作品です。
監督のフィリップ・ド・ブロカは次項で紹介するゴダールをはじめとしたヌーヴェルヴァーグと呼ばれる60年代前後のフランスで起きた映画革命の時代、ヌーヴェルヴァーグ勢とはちょっと距離を置いて娯楽映画を取り続けた映画監督です。
『リオの男』『カトマンズの男』『陽だまりの庭で』『君に愛の月影を』などチャーミングなコメディを得意とし、お気軽に見れるのですが、その作品の多くには辛辣な社会風刺が込められています。甘いだけではなくちょっとほろ苦い。

電少は暗めの曲が多いけど、でもそれだけが彼らの魅力ではないと思っています。そして可愛いだけが彼らの魅力でもない。
緊張感のなかでついお客さんとメンバーの笑顔が溢れてしまうようなカワイイものをスパイスで入れたくて製作した『Freaky,Freaky,Freaky,Freaky』はライブやアルバムだと大活躍をしてくれている曲です。

★『マヂソンダンス』

題材映画:『はなればなれに』(1964年/フランス作品/ジャン・リュック・ゴダール監督)
作曲:久徳亮 / 作詞:長田左右吉 / ダンス振付:Rikako

“電影と少年CQ”の“少年”は「映画少年」という意味が込められています。
どの時代も(今もそうなのかな?)映画少年のアイドルといえばジャン・リュック・ゴダールということで、ゴダール題材の曲は立ち上げの時からずっとやりたいことでした。
ゴダールやアンナ・カリーナに憧れる映画少年的なパリへの思いというのがテーマで、『はなればなれ』にて描かれる秋の寒々しいパリの下町を舞台にした青春の美しさと残酷さとかそういうものをこの曲には盛り込んでいます。

タイトルの『マヂソンダンス』というのは、題材映画で主人公たち3人がカフェで突然踊り出すダンスを、役者たちが『マジソンダンス』と呼んでいたことを由来としています。このダンスシーンはヌーヴェルヴァーグ映画史のなかでも最も有名なシーンの一つで、長回しで4分近くセリフもなく無意味にずっと踊っています。ダンスは決して洗練されているわけでもないのに妙に楽しそうで、いつまでも見ていたくなるシーンです。
ただこのシーンが映画のストーリーに重要かといえば決してそんなことはない。編集でカットしちゃってもストーリー上は全く構わない。ただこういう無意味な美しさこそがゴダールの、そして青春の美しさなのではないかと、僕は思っています。
タランティーノも『パルプフィクション』でのダンスシーンを撮影するとき、ユマ・サーマンとジョン・トラボルタにこのシーンを見せて監督したとか。

ルアンとユッキュンの声質や歌い方の癖はフレンチポップの相性がひたすらよく、マッチしすぎて逆につまらなくなるんじゃないかと不安になるほどでしたが、久徳亮さんの温故知新で、純真だけどエロティックなセンスがそこをかなり補って現代的なシャンソンを仕立て上げてくれました。

★『架空少年戦記』

題材映画:『リトル・ランボーズ』(2007年/イギリス作品/ガース・ジェニングス監督)
作曲:yellowauburb / 作詞:長田左右吉 / ダンス振付:Rikako

題材映画を選ぶとき、他の曲の題材とあまり被らないように気をつけていて、制作年、ジャンル、国とかでおおまかに分けて考えているのですが、ハイファンタジー映画ってないなあと思い、最初は『ダーククリスタル』か『ホビット』題材で考えていました。
この手のハイファンタジーは大体壮大なオーケストラ演奏がサウンドトラックになっていて、そのうちそこにも挑戦したいのですが、今はちょっと経済的にも難しいので、エンディングに流れそうなポップミュージックにしようと。

それが1980年代のイギリスの田舎でアーミッシュの少年と不良少年が勝手に稚拙な『ランボー』の続編を撮るという『リトル・ランボーズ』題材にしたのは、yellowseburbさんから上がってきたラフがそっちの方に似合っていたからでした。

『リトル・ランボーズ』は勝手に『ランボー』の続編を撮る映画でしたが、この曲は勝手に『リトル・ランボーズ』の続編を描く曲として製作されています。
あの映画の舞台となる80年代から30年経って大人になった彼らがガムシャラでデタラメで辛くとも楽しかった過去を思い出す。この曲はそんな来るべきノスタルジーをテーマにした曲です。
できたらユッキュンやルアン、そしてこの曲を聴いてくれたお客さんも30年後、この曲を思い出して「ああ、あんな馬鹿で楽しかった時代もあったなあ」って思ってくれたらいいなと。

ところで映画鑑賞において涙って最重要ではないと思っていて、だから宣伝であんまり泣けることを推してくる映画は苦手なのですが、人生でいちばん泣いた映画は多分この『リトル・ランボーズ』(と『クレヨンしんちゃん』の劇場版のいくつか)です。
涙の理由はおそらく僕も彼ら同様に少年時代にデタラメで稚拙な映画を必死に撮っていたからで、それで楽しかった思い出も、悔しくて泣いた思い出もいろいろあるから余計に感情移入してしまったからなのだと思います。

★『Meat Pie』

題材映画:『悪魔のいけにえ』(1974年/アメリカ作品/トビー・フーパー監督)
作曲:吉良ナム / 作詞:百貫目(小鳥こたお) / ダンス振付:Rikako

ホラーというか恐怖表現って物語を語る上で最も基本型だと思っています。何かを恐れることが登場人物の行動や葛藤につながる。受け手はその恐怖を感じないと登場人物に共感はできない。
映画でも漫画でも小説でも、(ホラーとは程遠いジャンルの人でも)優れた作家はみな恐怖表現が上手。
その基本たる恐怖表現を最も追求したジャンルがホラーなので、トビー・フーパー、ジョージ・A・ロメロ、ルチオ・フルチ、ウェス・クレイヴン、ジョン・カーペンター、ダリオ・アルジェント、ヴィンチェンゾ・ナタリ、高橋洋、黒沢清といったホラー映画監督と呼ばれる方々を物語作家として僕はとても尊敬しています。

『悪魔のいけにえ』はホラー映画史を変えた金字塔的作品です。
テキサスに旅行にきた若者たちが意味もわからず殺人鬼に襲われ次々と残酷に死んでいくというその後のホラーの雛形となったシンプルなストーリーながら、40年以上経った今なお人々を震えさせ考えさせる様々な要素が揃っています。

電少は他のアイドルさんたちと比べ、感情移入がしづらい演出になっています。
努力を表に出してはならない。疲労を表に出してはならない。ステージに立っているときは崇高な作品でならなくてはならない。
それってホラー映画の殺人鬼もそうで、得体の知れない存在感が感情移入を拒み恐怖を生み出す。
一方でルアンもユッキュンも、親バカ的発言ですが、とても愛らしい存在です。

僕が『悪魔のいけにえ』を大好きなのは、人喰い殺人鬼一家が、地元と家族を愛し、(人を殺して食べる)生活をとても愛しているという箇所です。怖いのになぜだかとても愛らしい。(その愛らしさは、殺人鬼一家視点で同じようなストーリーを繰り返す続編の『悪魔のいけにえ2』でより明確化されます)
電少が合わせ持つ“恐怖”と“愛らしさ”を『悪魔のいけにえ』に照らし合わせたとき、この『Meat Pie』といういびつな曲の形が自然と出来上がってきました。
さらに恐怖と愛らしさの共存という要素をすぐに理解し、それを活かす優れた歌詞を書いてくれたあヴぁんだんどの小鳥こたおさんが曲に命を吹き込んでくれました。

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以上、アルバム発売記念として、全14曲の題材映画について、長々と解説を加えてみました。
電少はこれからも様々な映画を題材とした曲を作っていきます。
題材映画を知らなくても良いし、興味があればちょっと動画サイトなどで予告編だけでも見てみるとまた違った楽しさがあると思います。
電影と少年CQの曲を聴いて、これらの映画を好きになってくれたらとても嬉しいです。