『平和への希求』 その31

さて、この長い文章も、ようやく終楽章を迎えたようです。わたくしが12年前当時抱いていた状況認識と、以来一貫して訴え続けてきた提言について、述べさせて戴きました。
 本当に、わたくしは、12年前当時以来、ずっと、深刻な危機感を抱いて参りました。
 しかし、わたくしがどんなに状況に対する危機感を深めようとも、社会的には一介の無名な個人・市民に過ぎないわたくしの力では、国民的コンセンサスの形成など夢のまた夢です。反戦平和の志が如何に強くとも、社会的存在は無に等しいわたくしには、戦争への道を阻止する闘いの中核に立つことなど到底できません。

 そこで、わたくしは、社会的な影響力を有している多くの有識者や言論人に対して、度々、メッセージとアピールを伝えさせて戴きました。切実な願いと期待を抱いて訴えました。彼らが、反戦平和を願う者にとって、状況は極めて深刻であることを十全に理解し、戦争への道を阻止するためには、既存の社会変革の思想や方法を超克しなければならないとの認識を抱いて下さり、彼らが得ている表現の場において、速やかに行動を起こして下さることを、切に願っておりました。
 しかし、こんにちに至るまで、わたくしが得たものの殆どは、理解や共感ではなく、疑念や反対や無視でした。
 一般の有識者や言論人たちが、わたくしの時代への警鐘に同意しない理由は、既に述べてきた事ですが、ここでもう一度確認しておきます。
 戦争を好きな日本人はいない・経済発展した国家を戦争で破壊させることはしない・こんな豊かな生活を捨てることはできないから、戦争には反対するだろうから、破局は回避できる・若者は自己中心的で損得で動くから国家のためという大義名分では動かないので、戦争遂行は不可能だ・マスコミがあるから大丈夫だ・憲法があるから戦争などできないし、大多数の国民は改憲に反対だ・周辺国も反対するだろうから、日本がそれを無視して戦争はできない――といった諸々の理由です。

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