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クリス・プラット主演・プロデュース!『トゥモロー・ウォー』

Amazonプライムで『トゥモロー・ウォー』を観た。
予告編は全然面白そうじゃなかったけど『LEGO ムービー』の監督とキャスト(クリス・プラット)のコンビなので期待していた。

感想は、この監督、キャストらしい、親子の絆や葛藤が描かれた娯楽大作となっていた。

前半は本当に面白くて、斬新な未来への戦争が描かれている。
たくさんの民間人が何故徴兵されるのか、という疑問もなるほどな、という感じで、また、彼らの着る服のラフさがこの戦争の奇妙さを際立たせる。

未知の生物を倒す切り札が毒薬で、その薬の開発に急ぐ中盤の展開はまるでコロナ禍の世相をあらわしているよう。時流への対応の早さに感心した。

だがしかし、後半の展開には難がある。

近年、数多のタイムスリップものがつくられ、求められるジャンルとしての設定レベルが上がっている傾向にある。
昨年公開の『テネット』はタイムスリップものではないが、時間もののSF映画として、また一段とそのレベルをあげたばかりだが、『トゥモロー・ウォー』はそこら辺の詰めがだいぶぼやけている。

これはクリス・プラット主演の映画だ、黙って受け入れろ、といわれているみたいにグイグイクリプラの行動に付き合わされていくような展開になる笑。

そう、クリス・プラット演じる男が、これはパラレルワールドなのか、それとも過去を変えればかつての未来は消失するのか(本作のモードとしてはこっちなのだか)、はたまた『シュタインズゲート』のように、ちょっとやそっとじゃ未来は変えられず、きっと元の未来を辿る恐れがあるのかなんてこと気にしないだろうし、そんな難問に立ち向かうプロットに向かない主人公なのだ。

というわけで、ここで結構な問題が生じる。この映画は先ほどにもちょっと書いた、「過去を変えれば、元の未来は消失する」という、バック・トゥ・ザ・フューチャー方式を取り入れている「よう」なのだ。
なぜ、「よう」なのかは後述するとして、それはいまや、一番古臭くなっている手法だ。
そんな楽天的な歴史改変のフィクションはもはやコメディでしか成り立たない。

でも、これはクリス・プラットの映画なのだ。
クリス・プラットの映画を観るアメリカ人が、果たしてクリストファー・ノーランのような、わかりにくい設定を取り入れた映画を好むのか。
ノーと答えたのが、『トゥモロー・ウォー』だ。
そもそも、タイトルからして、ノーと言っているようなものだ笑。

でも。中盤までの出来がかなりよく、時流も取り入れたような展開は、この設定にそぐなわないIQの高さが感じられるのである。なので、この古臭いSF設定上の結論はかなり無理矢理感がある。

もしかしたらパラレルワールドがあるかもしれないし、結局、ロシアで大元を潰したと思っていても、もう一機宇宙船が地中にあって結局同じ未来になるかもしれないし、色々と不明点があるなか、クリプラは娘が死んだ未来は消失する!と思い込んで突撃した「よう」にしかみえないということだ。 

なので、作品そのものがバック・トゥ~方式(過去を変えれば、元の未来は消失する)を取り入れてるのか、単にクリス・プラット演じる主人公が映画のバックトゥ~を観ていて現実もそうなのだと思い込んで行動している笑、のかがわからないのである。

もうひとつ、実はこれが答えだと思ってはいるのだが、パラレルワールドとして現実が分岐することを彼はわかっており(未来の娘もそれに言及している)、それでも、持って帰ってきた薬を武器に自身で直接娘の敵をとりたかった。

それはある意味、復讐劇だし、政府への不信からの直接行動(父親の設定を活かしてるのかも。にしても詰め込みすぎだ)なのだが、クリス・プラットのノリは完全に娘を救う、未来を変える、なんだよな笑。

だから結局、この主人公はパラレルワールドかなんかしんねえけど未来は変えてやる!派で、実際はどうなるかわからないという疑問が最後まで残る。

彼がプロデューサーも務めているので、主人公のこの描きかたは本望かもしれず、もう仕方ない。プロデューサーが最終的な方向を持っていった典型的な映画かもしれない。

そうだとすれば、クリス・プラットは『グエムル』と『オール・ユー・ニード・イズ・キル』とシェーン・ブラックの『ザ・プレデター』、あと『ブリッジ・オブ・スパイ』も好きに違いない笑。

ノリにのってそれらをプロットにぶちこんでいく能天気な姿を想像すると、いかにも彼らしい。

あ、でも、涙腺もしっかり緩ませてくれるんだよね。これが。いいパパなんだなあと思う。

色々と惜しいけどチャーミングな映画だった。

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