大原香

妄想執筆家と人形職人のおはなし

【私達の日常6】

私には変わった友人がいる。
例えるなら大人になれない子供、子供のままの大人。

「大原」
「んー…」
「おい、大原」
「むむぅ…」
「……。」

しゅばっという音と共に私の原稿が姿を消す。

「わっ!ちょ、なにするの!」

私が原稿を奪った張本人を見上げる。
口に原稿を咥えたウサギのパペット人形の持ち主はいかにも不満そうにこちらを睨んでいる。

「無視したお前が悪い。責めるなら私を無視した自分を責めるんだな」

大人げないよ、月夜里さん。
だがしかし、珍しいこともあるものだ。
いつもなら、話しかけたりする行為は私からなのだ。

何か大切な用事があるんだろうか?

でも、聞き出す前に一回機嫌を直して貰わないとね。
このままだと喋ってくれなさそうだ。

「ごめんね。可愛いね、このパペット。で、なんか用?」

パペットの頭を撫でながら私は月夜里さんに用件を聞いた。
パペットを褒められて機嫌を直した月夜里さんが答える。

「今から買い物に行く、付き合え」
「わお」
「なんだその目は」
「私が悪かった、悪かったからそんな顔で睨まないで。月夜里さんが自分から外に出ようとすることが珍しくてつい、ね?」

私の平謝りに不服なのかむすっとした顔をしたまま月夜里さんは答える。

「材料が切れたんだ」

材料というのはおそらく「人形を作るもの」のことだろう。
ちょうど机に胴体が行方不明な小さな生首人形が転がっている。

「なるほどなっとく。で、何処行くの?」
「手芸屋」
「りょーかい」

自分の机の前に無造作に散らばっているルーズリーフをとんとんっと整え、そして鉛筆やシャーペンは筆箱に入れてルーズリーフとともに鞄の中に入れる。
原稿用紙に手をかけたときに月夜里さんが言う。

「さすがにないと思うが原稿用紙は抱えていくなよ」
「さすがに抱えはしないよ」

苦笑を漏らす私に「どうだか」といわんばかりの呆れた顔をされた。
「外出の際にネタが降りてきた用のメモ帳とボールペンがあるんだ」と見せるべきだろうか。
―いややめておこう、おそらく逆効果だ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「へぇ、結構色んなものが置いてあるんだね」

大学の最寄駅から上り線で5つ目、駅を降りてすぐにあるショッピングモールの3階にある手芸専門店である。
手芸専門店というイメージから毛糸とか布が大量にあるだけだと思っていたけれど、文房具やら粘土やら木材やらガラスやら造花やら意外にも商品のバリエーションに富んでいる。

「はぐれるなよ」
「はいはい。で、何を買うの?」

「たしか…」と月夜里さんはポケットに手をいれて取りだしたのは先程の胴体の無い人形である。
そんな怖いものを平気でポケットに入れられるとは流石です、月夜里さん。
彼は首だけの人形とまるでテレパシーでも交わしているかのように暫し見つめあう。
そして、何事もなかったようにポケットの中にそれをつっこんで言った。

「今のところ必要なのは刺繍糸に赤色のアクリル絵の具だな」
「じゃあまずは刺繍糸?」
「そうだな、…ん?」
「どうしたの?」

月夜里さんがその場にしゃがみ込む。
どうやら私たちの目の前にある棚の商品が気になるらしい。
私もちょっと気になり、月夜里さんの真横にしゃがむ。

「珍しいな、詰め合わせが安いとは」

彼の手に握られた商品はなんと袋にいっぱい入った小さなお人形さんだった。
なんだか窒息寸前の魚を思わせるのは私だけだろうか。
それはさておき、どうやらこの棚は先程まで月夜里さんが作っていた小さな人形の陳列されている棚のようだ。
褐色肌や色白のものもあったが、月夜里さんが今まさに手に取っているのは私達と同じ黄色肌の人形の詰め合わせだ。

「うわ…、なんだか息しにくそう」
「人形は息などしないだろ」
「まぁそうなんだけどさ。こう、なんていうの?気持ちを代弁というか、…やっぱなんでもない」
「いい機会だ、買っておこう」

説明の挫折による私の溜息をよそに、月夜里さんは満足げに買い物カゴの中にその商品を入れていた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

他の棚と比べると長細い棚のところで月夜里さんが足を止めた。
5センチほどの透明な引き出しがその棚の四面を完全に埋め尽くし、1つの引き出しに9個の縦の仕切りによって10色の刺繍糸が入るようになっている。そして、その色ごとのスペースにに謎の三桁の数字が割り振られていた。
一番上に80円と書かれた張り紙があるからおそらく値段ではないのは確かだろう。
月夜里さんが前屈みになって一番左端に730と書かれた棚を引くと茶色の刺繍糸の束がびっしりと入っていた。

「刺繍糸はそれ?」
「ああそうだ」
「なんか種類多くない?」
「普通だろ」
「これが普通なんだ…」
「737か738が妥当か…。どっちだ?」
「え、うーん」

二種類の刺繍糸を比べながら見るが、たいしてそんな差があるように私は見えない。
私は30秒考えて、そして結論に至った。

「そんなに高くないから両方買っちゃえば?」
「駄目だ、もったいない」
「さいですか」

あっさりと却下されてしまった。
月夜里さんはむうと二つの刺繍糸を見て一つ唸り、そして私をじっと見つめる。
睨まれたりすることには慣れているが無言の凝視には流石に慣れていなくて少し後ずさりする。

「な、なに?」

月夜里さんは私の問いに答えることなかったが、一人で納得げに頷く。

「737にしとうこう。こっちのほうが明るい色だしな」
「は、はぁ…」

月夜里さんってほんとよく分からない人だなぁ…。

「え、なんで棚に戻すの?」
「まぁあれだ、針金に色を着けるぐらいなら油性マーカーでもいいだろ」
「…お金がたりないの?」
「……。」

なんてことだ、図星か。
心なしかしゅんとしているような気がする、なんかこのままほっとくのもちょっと可哀想だなぁ。

「お金出そうか?」
「それは」
「もちろん見返りもなく払ってあげるとか気前のいいことは言わないよ。ほら、あれ。」

私が指差した先にはフリフリのレースに身を包む黒ウサギの人形がいた。

「あれと同じのを作ってよ、ね?」
「意外とファンシーな人形が好きなんだな」
「わ、わるい!?」
「分かった分かった、交渉成立だ」

月夜里さんはまいったまいったと肩をすくめる。
少し腑に落ちないけど、まいっか…。

帰り道、疲れたのか月夜里さんは電車の中でうたたねをしていました。
材料の入った紙袋を大事そうに胸にぎゅっと抱えながら、すうすうと小さく寝息を零します。
ちょっと可愛いなと思ったのは内緒です。

「最後はアクリル絵の具か」

先程の糸の陳列棚から筆やら色鉛筆やら文具が揃う場所へと移動した私達はアクリル絵の具を探していた。

「人形にアクリル絵の具って使うものなの?」
「知らん」
「…はい?」

予想外の返答に開いた思わず聞き返す。
月夜里さんは、これも違うか…と呟きながら絵の具を棚に戻す。

「初めて使うから私にも分からないんだ」
「えぇ…」
「アクリルの赤が見つからない、お前も探せ」

こっちは開いた口が塞がらない状態なのに月夜里さんは相変わらずマイペースなことでほんと何よりですよ、はい。

「えっと…、あった!」

はい、と手渡すと彼は目を丸くした。

「早いな」
「知り合いに美術部がいてさ、買い物とかよく手伝ってたんだ」

―まぁ、あまりいい思い出ではないけどね。

「…ん?」
「どうしたの?」
「値段が高いな。これよりもっと小さいのはないのか」
「…それより小さいのはないかなぁ」
「そうか…」

月夜里さんは渋々と元にあった場所に絵の具を戻す。

「え、なんで棚に戻すの?」
「まぁあれだ、針金に色を着けるぐらいなら油性マーカーでもいいだろ」
「…お金足りないの?」
「……。」

なんてことだ、図星か。
心なしかしゅんとしているような気がする。
なんかこのままほっとくのもちょっと可哀想だなぁ。

「お金出そうか?」
「それは」
「もちろん見返りもなく払ってあげるとか気前のいいことは言わないよ。ほら、あれ」

私が指差した先にはフリフリのレースに身を包む黒ウサギの人形がいた。
正直、私の好みでもなかったが近くにあった人形がこれだったのだ、仕方ない。

「あれと同じものを作ってよ、ね?」
「意外とファンシーなのが好きなんだな」
「わ、わるい!?」
「分かった分かった、交渉成立だ」

月夜里さんはまいったまいったと肩をすくめる。
少し腑に落ちないけど、まいっか…。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

帰り道、疲れたのか月夜里さんは電車の中でうたたねをしていました。
材料の入った紙袋を大事そうに胸にぎゅっと抱えながら、すうすうと小さく寝息をもらしています。

ちょっと可愛いなと思ったのは内緒です。

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