義憤の人とアンガーポルノ

万が一のために買い込んだカロリーメイトが美味しすぎて無限に食べてしまったところ、カロリーメイト一本が100kcalと知って青くなっているのがこちらのアカウント。
あの味とタンパク質だけで構成された物が食べたい…。

さて、この記事は近年のツイッターについての情報整理のガワを着せた苦言である。生きていくのにはなんら必要のない話だよ。

今日も無知を開陳するぞ。

アンガーポルノについて

今日、フォローが増えてくると案の定流れてくるツイッター村の帰りの会の吊し上げを思わせる、問題定期するだけの投げっぱなしジャーマンみたいなツイート群。

個人的には、加害者側を加害者だからといって吊し上げて火炙りにするような一連の流れというのも見てて辛いし、あの手のモノはもはや「怒るためのポルノ」だ。アンガーポルノである

ポルノが射精とか性的欲求の発露を促すものならば、あの手のアンガーポルノは見る者を怒らせたり、不快にさせるのが結果的な機能として成立しているように思う。

もちろん人間だもの、危険だったり不快なものに敏感な適性が生存につながってきたこともあり、その辺りの自身を乱すモノに敏感になるのは理解できる。けれどそれに振り回されるために生きているわけでは決してない。
それなのについつい、やっぱり見てしまうジレンマがある。
(ほどほどにマズイものほど食べ続けちゃうのとか、マイルドなダメンズ・ダメ女にほど執着しやすいのとちょっと似てる)

義憤の人

そしてツイッターでは年々、そういう義憤を振りまく人が注目を集めている傾向が高く、そして注目が集まるからより大なり小なり有象無象のさまざまな義憤を出力するのに最適化されていく様子がある。義憤の人になっていく。

そもそもこのような義憤の人はどのようにして成るのか。
観察してみると、だいたいこの手の義憤の人はもともと「有益なツイートを」と心がけている人が多い。そうして1〜2年くらい豆知識とか業界知識をつぶやいて有名にあとで、その中でも注目を集めやすい義憤ツイートが増えていく。というのも、啓蒙と問題提起はかなり相性がいいから仕方がない。

[名](スル)《「啓」はひらく、「蒙」はくらいの意》
人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。
「大衆を啓蒙する」「啓蒙書」  
» 啓蒙(ケイモウ)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99-489299


そうして啓蒙と問題提起の無限ループを経て、めでたく義憤の人へと進化するイメージが有る。おめでとう、有益な人は義憤の人になった。

そうしてそのまま炎上しても義憤に燃え続けるまでがワンセット。今まさに自分がやっているような、主語にあたる対象をなぞのパワーワードでコーティングして、140文字で鮮やかにボコボコにしていくことが増えてきたら、消し炭になる前の香ばしさはそろそろ最高潮だといっていい。
こういうアカウント、結構あると思う。

かく言う自分もそういう気質が結構あるので(ストレングスファインダーで言う問題解決志向とか)、見てて辛い。共鳴しちゃうのである。
もうめっちゃ辛い、いうなれば飛び火である。こちらまで引っ張られるように義憤の火が着いてしまいがちなのだ。

そして怒るってつかれるので、目に入った側からこちらが燃えて勝手に疲れるという、もはや飯テロの義憤バージョンのようなものである。

そういう世知辛いのは人生だけで十分なのでもういいよ、と思うのだけれど、どうしても目に入っちゃう。こういうのとの付き合い方の解決策としてユーモアがあるとは思うのだけれど、なかなかどうしてそうもいかない。

けれど北風と太陽の寓話にもある通り、直接問題を引き起こす人や物に正論や正攻法で当たっても概ねの場合は同じ熱量が自分に帰ってくるだけなのである。

人が誰かの前に膝を折るのは正しさや優劣からではなく、常に自分の利害のためにである。

この記事によれば、ブーメラン効果というらしい。ひとつかしこくなった。

心理学で、説得者が被説得者の態度・意見と同じことを主張した時に、被説得者が説得者の説得方向とは送方向に自らの態度・意見を変化させる現象。個人対個人の説得のみならず、マスメディアや企業、政治団体などが大衆を説得する時にも生じる。

(そのあたり、怒りや不満を伝えるというのも、そもそも補填をせびる行為だし、相手へ甘える行為に過ぎないんじゃないのかな。結局、思春期の子供が親や社会へと反発することで、自分の位置を確立するみたいなもので、結局相手なしでは生きていけなくなってしまう。レゴムービーのバットマンとジョーカーみたいな関係なんじゃないかなって思う)

あま・える【甘える】[動ア下一][文]あま・ゆ[ヤ下二]

1 かわいがってもらおうとして、まとわりついたり物をねだったりする。甘ったれる。「子供が親に―・える」
2 相手の好意に遠慮なくよりかかる。また、なれ親しんでわがままに振る舞う。甘ったれる。「お言葉に―・えてお借りします」
3 甘ったるい感じや香りがする。
「いと―・えたる薫物(たきもの)の香を」〈源・常夏〉
4 恥ずかしがる。はにかむ。
「―・えて爪食ふべき事にもあらぬを」〈源・竹河〉

甘える(アマエル)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%94%98%E3%81%88%E3%82%8B-426881

まとめ

まあ、そうはいってもアンガーポルノと義憤の人はインターネットが生まれる前からいて、多分人類と同い年位のものだろうと思う。情報のリーチが広がったことは様々な分野でネットの功罪だと思うけれど、それによって、誰でも気軽に義憤をバーニッシュのように燃やすことができるようになって、それを観測できるようになっただけなんだろう。

(ところでプロメアはいいぞ。プロメアを見ろ)

村社会とかでも、他人がこちらの事情に首を突っ込んできて事態を悪化させて、当人は「わたしはただしいことをした、おまえがわるいからわるいのだ」という顔をしているのはめちゃくちゃよくある話。その手の合理性の奴隷って主体性ゼロかよ感はあるけれど。

これを避けるには、結局はその手の人や情報から極力離れるしかないので、突き詰めればSNSをやめろという話になる。けれど、「象をイメージしないで」と言われて脳裏をよぎるのは結局象のことなので、一番有効なのは一日を充実させたり忙しくすることに終始するんだろうなと。

「SNSをやめろ、外に出ろ!」
そんなレディ・プレイヤー1みたいな身も蓋もない、至極当たり前のところに終始する。

以上、お布団の中からスマホでお送りしました。

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