さよなら花純風香 残像のようなダンサー~花純風香の雰囲気

 一九九九年、『ノバ・ボサ・ノバ』(雪組)のビーナスがすごかった。一九九五年初舞台だから、当時まだ五年目だったというのが今から思えば意外なほど、安定感がありながら、大胆で奔放だった。大胆で奔放なだけなら、他の誰かにもできたかもしれないが、それではうっかりすると品位が欠けてしまう。落ち着きといっていいと思うが、中心がしっかりと定まってブレのない激しい動きができていたからこそ、あのすばらしいショーの中で愛と生命を讃美する一つの象徴として躍動することができたのだ。
 しかしながら、花純風香という美しい名前をもったこの娘役は、残念なことに、必ずしも重用されてきたとはいいがたい。二〇〇二年度の「宝塚おとめ」に「好きだった役」として先述のビーナスのほかに『心中・恋の大和路』の千代歳を挙げていたように、バレエだけでなく日舞も得意で(名取・花柳栄風香)、それが身体の芯をきっちりと定めるという美点につながっていたのだろう。比較的日本物の多かった雪組では、その美点も大いに生かせたが、二〇〇二年に花組に組替え。しかし、ダンスが得意な娘役というなら、花組では鈴懸三由岐が既に大きな存在感をもっていた。鈴懸との学年差が四年、三年下には舞城のどかがいたので、間を埋める役割も期待されていたのかもしれないが、率直にいって、その二人に比べると大劇場公演の中で十分な見せ場が与えられていたようには思えなかった。せっかく日舞が得意なのだから、せめて『あさきゆめみしⅡ』に出演していれば、最後近くになかなかの存在感を見せてくれたのではなかったかと、残念に思っている。
 鈴懸と同時退団になってしまうとは、意外だった。あまり無責任で根拠のない斟酌はすべきでないと思うが、鈴懸が退団すれば多少は出番も多く大きくなっただろうに、鈴懸が同期の春野寿美礼と同時に退団するのとは対照的に、花純は同期の真飛聖のトップ就任を待たずに退団することとなった。その退団公演、『アデュー・マルセイユ』では、市長夫人として凛と張った背筋もみごとに、落ち着きのある声を聞かせてくれた。『ラブ・シンフォニー』では、ほとんどの場面で同時退団の鈴懸と対で使われた。改めて花純を見ていて、もちろん動きの特質にもひかれるところはあるのだが、周囲の世界を撫でつけ抑えるような、姐御のような視線と表情に魅力を感じた。落ち着いてはいるのだが、いくぶん攻撃的とも思えるような視線だ。それはもしかしたら、最後の日々を目に焼き付けておくために広い視界を保つための視線だったのかもしれないが、そうであるよりは、自分を奮い立たせながらも冷静に保たせるような、二つの方向への力をもつ態度であるように思われた。
 そのような態度でダンスに向き合うということは、踊る身体というものを舞台の上で的確に立たせるために、非常に重要なことだったのだろう。具体的にはアラベスクがゆっくりと丁寧で、心がこもっているように見えたというようなことになるのだが、身体の周囲に彼女独自の雰囲気を創り出すことができていたということだ。動きの速さやキレを追究するのではなく、情緒を醸し出すタイプのダンスであるように見えた。人間の身体は流体でできているから、激しい動きによって細部に若干の遅れが生じ、それが名残となって心情に訴えかけることになる。身体だけでなく、ドレスの裾さばきにも同じことが起きる。おそらくはちょっとした加減なのだろうが、ただの布が意志を持っているかのようにきれいな弧を描いてふわりと身体を彩るのは、見ていて気持ちがいいし、残念なことに巧拙の違いが客席からはっきりわかってしまうものだ。ゆっくりと時間をかけて描く弧は、残像になって、しばし時間を止めるような効果がある。そのような残る姿、残る思いを痛切に見せることのできるダンサーであった。
 最近の花組は、なんだか娘役がずいぶん充実していて、花純が退団しても舞城、花野じゅりあ、とダンスを得意とする娘役には事欠かない。花純は、花組では数年在籍したに過ぎなかったかもしれないが、その後ろ姿を見て身体の動きの味わいというようなものを体得した者も多かったのではなかっただろうか。どちらかといえば派手に主張するタイプのダンスではなかっただけに、宝塚の娘役としては正統的で、貴重な存在だったといえるだろう。多くの娘役には、そういうダンスもまた重要であるということを、受け継いでいってほしい。

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