見出し画像

宝塚歌劇花組 さよなら春野寿美礼 どの動きにも思いを込めて~『ラブ・シンフォニー』のダンスを中心に(2007年11~12月)



 春野は、一度も組替えすることなく、花組一筋で入団以来十七年間、退団に至るということでも話題になっている。最近は、組ごとの個性や特徴が希薄化してきているが、以前は「ダンスの花組」と呼ばれていた。一九九一年、春野が花組に配属になった時のトップは大浦みずき。以下、磯野千尋、安寿ミラ、香寿たつき、紫吹淳と、まさに綺羅星のごとくダンスの名手がそろっていた。群舞であれ、ロケットであれ、ダンスリーダーをはじめとした上級生のダンスを目にして、入団直後から多くのことを学びとったに違いない。
 十年を経て、二〇〇一年十二月にトップの匠ひびきが翌年六月での退団を発表、そのサヨナラ公演(=お披露目公演)を匠がケガで降板するという非常事態の中、春野は代役トップとして舞台に立つことになった。しかしそれはあくまで「代演」といわれ、フィナーレで背負う羽根もずいぶん小さかった。そして、遡るが『エリザベート』を含めたラインアップの発表が匠の退団発表直後の二〇〇二年一月で、その時トートは春野と発表されたにもかかわらず、トップ就任の正式発表は待たされた。「事実上」の発表時に「花組のトップは来年六月まで匠ひびきが務めるわけで、現段階で春野が次期トップだというわけにはいかない」と植田紳爾理事長(当時)は話したと伝えられているが、奇妙な現象ではあった。その後、組替え等のサプライズもなく、春野の順当なトップ就任に、多くのファンは安心し、歌で個性を発揮することのできる春野にふさわしいトートでのスタートに、期待もいっそう膨らんだというものだ。
 さて、春野に対しては、多くの場合、歌が得意なトップと言われ続けてきた。退団発表の記者会見でも「ファンからは退団後も歌はぜひ続けてほしいという声があるが」と話を振られているほどだ。実際そうに違いはないのだが、ダンスにも非常に大きな魅力をもっていることが、忘れられがちであるように思う。実はぼくが春野を本公演で初めて注目したのは、愛華みれのサヨナラ公演『ミケランジェロ』と併演のショー『VIVA!』(二〇〇一年)で、身体のバネの強さに見入ったのを覚えている。
 トップ就任後、腰を痛めたと伝えられたこともあり、思いきって存分に踊りまくるような振付を避けるようなこともあったと思われ、歌だけの人ではないのにといくぶん残念に思っていたが、サヨナラ公演となったショー『ラブ・シンフォニー』では、久々に彼女のダンスの魅力を堪能した。
 春野のダンスは、けれんみや癖がなく、素直さが持ち味だといってよいだろう。第十場「ラテン・シンフォニー」で彼女は「蝶の男S」、ちょっとやさぐれた感じの風情のある歌を聴かせた後、軽く腰を沈めて、速いがスピードの魅力だけでは語れない、情緒のあるステップを見せてくれた。タメを作ってはいるがくどくはなく、沈めた腰が重心の低い安定感を生み、足先の運びが真円に近いようなきれいな線を描いているのだろうか、とても上品な、高貴な印象を受ける動きである。正統的な動きでありながら、思いを煽り立てるような強い魅力を発しているのは、一つひとつの動きが丁寧でゆったりとしていて、スケールの大きさを感じさせるからだろう。さらに、以前はあまり意識しなかったことだが、歌では豊かな中音域から張りのある高音域を駆使し、奔放に自由自在に魅力を満開させるのに比べて、ダンスでは正調であることをことのほか意識しているように思える。その対照が、視覚に訴える春野の身体を、ひときわ端正なものとして立ち上がらせているのではないか。
 続く「スペイン交響楽」で、旅人である春野は人々と共に踊る。ただ共に踊ることが今必要なのだとでもいうように、踊る。踊ることが楽しいとかうれしいとか、そういうこと以前に、ただ無心にがむしゃらに踊っているように見える。もちろん、腕の返しが美しいとか、ステップのキレがいいというような技術的な面での魅力を数え上げることはできるだろうが、ここでは花組生え抜きのトップとして、ダンスリーダーとして、自分がただ踊ることを後ろの組子たちに見せつけて、「ダンスの花組」であることを伝えようとしているようにも思える。組の伝統などというものは、もはや死語なのかもしれないし、これまで春野がそのようなことを意識していたかどうかは知らないが、この総踊りの場面には、何かこれまで受け取ったことがないようなメッセージが込められていたような気がする。春野はここですべてを出し尽くそうとしている。それを受け取ろうとしている組子たちがいる。それがダンスによって行われようとしていると感じられたのは、やはりダンスというもののもつ身体すべての全体性によるものなのだろう。おそらくこの場面は、千秋楽が近づくにつれて、どんどんどんどん熱さを増していき、はじけんばかりになることだろう。
この場面のラストで、金の帯がバサッと下りてきたとき、一つの世界が終わったような充足感と虚脱感のようなものに見舞われた。それは一つの中心を喪失するということなのだろう。オープニングで「胸によみがえる思い出と共に、新しい旅立ちに愛を歌う」と歌い、フィナーレで「遠く離れても君を思っていることを忘れないで」と歌った春野の、朗々と広がる歌と共に、端正な一挙手一投足に込められた熱い思いを、しっかりと受け止めて、これからも見続けていきたいと思っている。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?