お金のあれこれ✨豊かさに気づけていたかな、と振り返った

(2022.4.1)

 おはようございます。sizukukoboです。

 私は曜日ごとにテーマを決めて毎日の配信をしています。
 金曜日のテーマは「 お金のあれこれ」についてです。
 私が普段感じていること、新しくトライしたいことなどをお伝えしています。

 先週は、神様からのサインとも取れる出来事があった、といった内容でお届けしました。証券会社の口座開設をする方向になったり、豊かさの確認ができるような出来事が起こったりしました。

 そして、1週間経ちました。
 この1週間はどうだったか。

 今日は「豊さに気づけていたかな」と振り返った、という話です。
 先週、色々と感謝だな、と思えることがあったわけですが、それをきっかけに、「これまで、自分の在り方はどうだったかな」とさらに深掘りしてみました。

 これも、深掘りせざるを得ないことが起きたために「神様からのサインかな」と思っています。

 なぜ私が「これまで、豊さに気づいていたかな」と振り返らないといけなくなったかというと、恥ずかしい話なのですが、財布に入っていたお守り代わりのお金がなくなっていたからです。取られたとか、そういうわけではなくて、自分で使ってなくなったわけですが、その、使っていた、という自覚がないまま「ある」と思って使ってしまい、ふと改めて財布の中身を確認したらお札が1枚も残っていなかった、というわけです。

 びっくりしました。いつもあると思っていたお金が綺麗になくなっていました。最初、その光景が受け入れられなくて「あれ?違う財布に移したっけ?」などと現実を認めず他の財布の中を確認したりしてしまいました。

 情けない。恥ずかしい。
 そういえば自分が、カード払いできない時に、間違いなくその財布からお金を支払っていることがありました。何度もありました。当然、お金は使えばなくなるわけで、その使ったことを都合よく忘れていました。ものが手に入って安心し、出ていったお金のことを思い出すこともなく、ふと財布の中身を確認したわけです。お札が入っているわけありませんでした。

 正直にいうと、まだ信じきれていないんです。使ったと言っても、そんな、大層なものは買っていないし、無駄遣いもしていない。必要があって買っていました。金額も高価なものではない。一個一個は、本当に微々たる金額、、、。

 ところが、今、目の前の現実は、財布の中にお札がないわけです。
 それで、「何を現金で買ったんだっけ?」という記憶の掘り起こしに始まり、思い出すうちに「あぁ、私はたくさんのものを手に入れていた」と確認し、同時に「忘れてしまうくらい、たくさん買っていたんだな」と自分の行動を反省して、そして「既に豊かだったんだな」と思ったわけです。

 豊かだな、と思いつつ、なくなったお札に未練があって気持ちの整理がついていないわけですが、今の状態はまさに「ない」ことにフォーカスしています。豊かになるための条件からは反対のところに気持ちが向いています。

 心の在り方が現実の豊かさに反映されると知ってはいるものの、実際の本音はというと、こんな風に「ない、ない、お金がないよー」とオロオロしているわけです。
 これって、さらなる「ない」を引き起こす典型なんですよね。

 わかっているつもりでした。ちゃんと、学んでいるつもりでした。
 そして、つもりだっただけで、ちゃんと心で感じられていなかった、と思い知りました。

 出来事としては「入っていると思っていたお金が財布になかった。どこかで使ってしまっていた」といった些細なことです。

 しかし、私にとって結構な金額がなくなっていた。だから、振り返らないといけなくなったというわけです。

 既に、たくさんのものを手にしている。

 忘れてはいけない現実です。


  最後までお読みいただきありがとうございました。