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プロセスを味わう為に〜6/6新月メッセージ🌑

● 飛べない蝶の悲劇
あるところに、間もなく羽化して飛び立とうと、必至にもがく蝶のさなぎがありました。
そんな光景を観ていたある男が、なかなか堅そうな殻を破けずにもがき苦しんでいるその姿を見て、可哀想に思い、手伝ってあげようと殻の端の方を少し切ってあげたのです。
すると、その切り込みの辺りから見事にさなぎの殻が破け、蝶はようやく中から出て来ることができました。
しかし、その時に中から出てきたものは、なぜかそのまま、地面にボトン、と落ちました。地面におちたそれは、なぜかイモムシのように胴が大きく、背中にクシャクシャと縮まった羽根とも言えないようなものが生えていました。さなぎからようやく出てきたそれは、羽根を広げて空に舞う「蝶」の姿ではなかったのです。そして、そのイモムシのような姿をした虫は男を見上げ、こう言いました。「ありがとう!あなたが殻を切って手伝ってくれたんだね。お陰で楽に出て来られたよ。さっきまでは、苦しかったなぁ。。。」そう言い残して、その虫は重たい胴を引きずり、地を這うように歩いて去って行きました。その虫は、「自分が本当は何者であるか」に一生気づくことなく、その短い生涯を終えることになるでしょう。一生飛ぶことの出来ない、蝶とは呼べない蝶として。。。
・・・そう、男は知らなかったのです。
蝶が、あの堅いさなぎの殻の中で、何をしているのかの真実を。
蝶は、堅いさなぎの殻の中でもがくことで、胴の栄養が羽根に送り込まれ、そのプロセスを通して、初めて、空に飛び立てるほど立派な羽が形成される、という真実を。

大空を羽ばたく、美しく立派な羽根がちょうど仕上る頃に、さなぎの殻が破けるよう、この大自然の法則には完璧な仕組みが存在している真理を。



この寓話は、
ずいぶん前にも一度ここだったか
スタエフだったか‥で
ご紹介したことがあります。

精神世界に携わる方でしたら
ご存知の方も多いかもしれません。


わたしもセッションをさせて頂いている
セラピストであるからこそ、
この寓話の持つ真理を常に心にもちつつ
セッションをしています。


そこに留まらず、
今の学校教育や社会人の中でも、
あるいは家庭の中でさえも
大いに参考になる寓話でないかと
この話を初めて読んだ時は感じたものでした。

と同時に、身の引き締まるもの
でもありました。





人に対して、大体のことは
自分では良かれと思ってやっている・・・。

でも本当は無知や無理解のところで
逆のことをやっていることは結構あるかも知れない。と。





精神性を扱って人をサポートする身として、
肝に銘じるべき教訓がある
非常に象徴的な話だと。




さて、この寓話に出て来た男は
悪人でしょうか?

いいえ。彼は、苦しそうなさなぎを
助けよう としたのですよね。


そう、
“良かれ”と思って殻を切ってあげたのです。


悪人どころか、純粋な心の持ち主です。


その純粋で親切な行為の部分だけを見たら、
讃えられ大きな評価を受けるもの
かもしれません。


しかし、その行為の結果として
生み出されたものは何だったでしょうか…


そして、さなぎから出て来た、
蝶とは言えない虫も

この男に対して恨むどころか、
苦しみを取り去ってもらった事に感謝しています。



この虫もまた、
自分にとっての「真実」
「正しい知識」を持てないまま

自分の身に何が起きてしまったのか、
気付くことも出来ずにいます。



さなぎが、いつか「あれ?何か違うな?」と
違和感を持つようになったとしても、
もうさなぎをやり直すことは出来ません。



仏教に、「無明」という言葉があります。

「真理に暗い」という意味です。

私は、仏教の教義を伝えている
わけではありませんが、
この話の本質を表現する適切な
言葉だと思うので、取り込んでいます。

この「無明」という、
人間の限られた視点だけで捉えた
非常に狭い範囲での判断基準で人を導くと、

先の寓話のような“飛べない蝶の悲劇”を
生み出しかねないのです。




クライアントさまで言えば、
そのサポートを必要とされている方の
多くの最初は、
心の悩みを抱えています。


仏教の教えでは

私たちの心の働きは、
「無明」によって不調和な心を生みだし、

その逆の
霊的真理には明るい「光明」によって
調和の心を生み出します。

といわれています。


つまり、霊的真理の知識に基づいた
より広い視点で物事を捉えるかどうかが、
心の悩みや闇を生み出すかどうか
対極にあるものを左右させる

ということなのです。



しかし、
助ける側も、助けられる側も、
「無明」のまま、
「困難な状況や問題」の本質が見えずにいれば

不調和な精神状態を単に緩和させたり、
排除、切除、抑圧といった誤った対処法を
してしまいかねません。





例えば、頭が痛いからと言って
単に薬で痛みを止めるような対症療法をし

その痛みが伝えようとしている原因を、
助ける側も助けられる側も、
きちんと見ようとしなければ、

身体に深刻な問題が進行している
かもしれないものを見落とす
可能性だって否めません。






「飛べない蝶の悲劇」の寓話に
でてきた男と蝶は、

「無明」だった事をこの出来事を通して
学んだ、と言うわけなのです。






そもそも「霊的真理」とは何でしょうか。

スピリチュアルこそ定義は人それぞれですが
「霊」は「スピリチュアル」に位置づけられ

ここでは
私たち人間が認識している世界の
その背後に存在している世界と、
そこにはたらく法則の真理です。



私たちの肉体に宿る 魂 と、
その背後に無限に広がる
意識の世界の仕組みが「霊的真理」です。


その真理を、
大いなる自然法則と介在させながら
人間として生きる。


その法則を「神」と表現する事もできます。
内なる神。



私たち人間の魂はこの物質次元の地上で、
肉体という制限と、
エゴという分離感の幻想がなければ
学べないことがたくさんあります。



そのような
不完全な人間だからこそ、
困難や問題、苦しみ悲しみ痛み等に直面し

それがあるからこそ、
学ぶことができる地上は「魂の成長」の
最高のステージなのです。



そのような大切な「魂の成長」
のための機会を、

不快だからとかキツイから
辛いからと言って
取り除くお手伝いをする事が、

どれだけ大きな過ちであるかは
肉体を去った後に痛感するのかも知れません。



その時に気づくのでは
ある意味遅いのです。 
(だからこそやり直しの転生制度があるのかも。宇宙はやはり愛が深い。)



「魂の進化」の仕組みを知ったならば、
単にクライアントを
困難な状況から救い出せば良い…

という発想は
安易には出てこないのです。




この地上における人生での困難や
苦しみを通してできる経験が、

大きなエネルギーとなって
羽根に栄養を送り込み

大空を飛び立つ蝶のように
美しい大きな羽根を広げ、
魂の次なるステージへと羽ばたいていく。


さなぎの時は膿みだしのような感覚が
あります。

うみだし、生み出す。
単なる語呂合わせではなく、
それをすることで自分の中にスペースができ

蝶となり羽ばたけます。


自分とは何者なのか、を知り
魂の想いに気づき
その自分を全うしていく。


これからも、肝に銘じて、セラピストとして
改めて。新月にて。

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