ジャズとか。

人には人の現実があると思って勝手に過ごしている。職場で声のでかい人も、いつも笑顔で気さくなあの人も、何かしら持っていると思って過ごしている。コンプレックスだったりあまり思い出したくないことがあるというか。

かくいう自分もそういうのはある訳で。その時はそうでもないとか思っていたんだけど、周りからは大分切羽詰まっていたように見えていたらしい。今思い返すときつかった。

就職せず収入がない頃、日雇いに行っていたのだけれどそれだけでは安定しなかったので紹介で東京駅の弁当屋のアルバイトをやっていたことがあった。ここで1年弱過ごすことになるんだけどあまり同世代とかと馴染めなかったり、先輩には仕事できないよねとからかわれたり。しまいには就職活動も落ちてばかりで、バンドも曲が作れないしで自分のダメさが連続していて、すこぶる気が滅入っていた。

バイトに向かうのも嫌だったけど、そんな中でも朝勤は楽しかった。始発〜3、4時間くらいまでの勤務になって前日から仮眠室で止まりになるのがほとんど。前日の22時くらいに勤務が終わってそこからご飯を買って休憩室で食べるのだけど、同じように朝勤の人が集まってくる。世代はバラバラだったけど男性の年配の人が多かった。比較若めで入る人が少なかったんだろうか、よく話しかけてもらった。話題も下世話やくだらないことがほとんどで面白かったし、ちゃんと会話ができた。睡眠時間が3〜4時間くらいしかないからそこがきつかったんだけど、話したりできるっていうのが自分の中でかなり嬉しかったんだろうか、よく勤務を入れいた。

自信がついたのか他の時間帯でも変に気が滅入ることは少なくなり、職場のおばちゃんたちとは多少話せるようになったりした。その後、就職が決まり一緒に入っていたおばちゃんに「今月で辞めるんですよね」って話をした。

おめでとう、良かったわね〜と言われた後、就職したらやりたいことかあるの?と聞かれた。色々あるんですけども、じいちゃんとばあちゃんには報告には行きたいですねと話した。いいじゃない、行った方がいいわよ〜と言われた。

「私ね、母が福島にいるんだけど1人暮らしなのよね。お父さんがいなくなってからずっと1人なんだけど、やっぱり歳も歳だし心配になるのよ。私も家族がいるからそんなに頻繁には帰れないんだけど、寂しくないかなって考えちゃって。それでお歳暮とかも送ってたんだけども、この前帰った時に何かしたいことある?旅行とかでもどう?、とか言ったんだけど、でも母ね、一緒にご飯を食べて欲しいって言ったの。特に高いものとかいらないから、長く泊まらなくてもいいから、帰ってきてご飯を一緒に食べるだけでいいの、って言われたの。なんかそれが忘れられなくてね。ご飯を誰かと一緒に食べるって大事よ〜」

その人は切羽詰まってる訳ではないし、格別辛い話をよくする人って訳ではなかった。でも普段、そういう話をほとんどしない人だったからとてもびっくりしたのは覚えている。おばちゃんにはおばちゃんの生活があって本当にふとして言ったことなんだけど、それが逆に刺さった。

このアルバイトってあんまり好きじゃない自分の思い出なんだけど、印象に残っていることとかいくつかあって。おばちゃんの話はその一つだったりする。

当たり前なんだろうけど、文字よりもふと話したことばの方が生きている気がした。広告で出している文字よりも、偉人の本よりも、根が深く、いつまでも考えることだと思った。その人がしたかったことを無意識に伝えたかったのかな。

就職が決まってから職場には1回も顔を出したことがない。元気にしているんだろうか。



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