ランナウェイ。

怒ると怖い先生だった。中学校の時の数学の先生。いつもニコニコしていて、穏やかなのに、怒ると怒鳴るからギャップで怖かった。それはもう烈火の如く。てめえ!!この野郎!!とか言ってて初めて見た時はビックリした。

パンク、好きなの?と聞かれた。中2の頃だ。当時から悩み癖は変わっておらず学校の相談室に出入りしていた時、先生が来て話しかけてくれたのがきっかけだった。先生は意外にもパンクが好きだった。日本のパンクが好きなんですけど、フォークも気になっています、と話したら昔のも好き?という話になり、そこからスターリンや友部正人を貸してくれた。周りに話せる友だちはおろか、普通に話せる人も少なかったから本当に嬉しかった。家に帰ってコンポで流すと、心臓のBPMがほんの少しだけ上がる。身体が動く。猿みたいにテンションが上がる。金のない中学生にとっては好きなものが聞ける環境があるというのは本当にありがたい。先生にこの曲とかこれが良かったですと話した。嬉しそうに聞いてくれた。

音楽以外のことも話してくれた。本当は教師が好きではないこと、バンドを組んでみたかったけど臆病でできなかったこと、でもライブに行くとすごく楽しいこと。どこまでが本当かは今となってはわからないが、不器用な性格の先生故にそこに誠実さを感じた。

地元の友人から昨年連絡が来た。先生が亡くなったと。年賀状はおろかほとんど連絡していなかった。でもいつかはバンドのライブを見に来てもらえたらなあと思ってうだうだとしていたら、この様だ。一回も見てもらえることはなかった。

先生のお別れ会があり行った。久しぶりに向かう地元、越谷はやっぱり東京のベッドタウンという感じがした。都内からはそんなにかからないが、ファミリー向けのお店がほとんどかもしれない。今は住んでいないから変わっているかもしれないけど。地元にいた時に行っていたレコード屋は駅から徒歩30分くらいのところになってしまい、中々行きにくくなった。駅に着いて斎場に向かう。1人で来ていたのも自分くらい。家族連れで来ている方がほとんどだった。

そしていざ行って写真の前に立ってみても全然実感が湧かない。ご家族の方と少し話すもやはり湧かない。お墓の前に行けば湧くんだろうか。生前の思い出のもののところに音楽雑誌やCDが置いてあった。ハービーハンコックや坂本真綾、80年代ディスコのオムニバス。最近自分が聞いたりしているのもあって、時間を感じた。中学校の時から比べればラインナップも変わる。そして先生も流行りもあるが自分のペースで好きなものを聞いていたんだなと思えた。14歳だった僕ももう30代だ。30代って大人だと思っていましたけど、全然迷うんですね。14歳と変わらないです。

中高生にとってその時に聞いた音楽が、その後の人生でも聞き続けるなんてことをニュースで見たりする。思い当たる節はとても多いし、その時の景色も一気に思い出してしまう。音楽にしても地元のコミュニティで同じワードを共有できなければ「少し変な人」扱いされてしまう。そして特に能力がなければ弾かれる。中学生の頃なんてより顕著だ。友だちに聞かせても反応なんかない。だから外に行くんだと思う。もちろん、その人自身の性格もあるんだろうけど。そのワードを共有できる人がいると本当に嬉しい。僕にとってはワードが音楽であり、共有できるその1人が先生だった。

越谷に向かう電車の中で久しぶりに聞いたスターリンはやっぱりカッコよくて、特に中学生の頃にわからなかった「フィッシュイン」が一番刺さった。このアルバムも先生に貸してもらったものだ。


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