大人って勝手だな
そう、大人って勝手だなって思った
正確にはそう思ってました。
以降スーパーダークな話なので
このワードでもう無理な人は読むのをやめることをお勧めします。
それでもこのタイミングで書いとくべきかな?そう思って書き記します。
私は小学校を2度転校している
あれは、小学校3年の夏だったと思う
小学1年を過ごした学校は、1学年に1クラス、と言っても40人くらい
もう2人入ったら2クラスにするとか、しないとかそんな噂がが流れていた
しかし、私は小学2年になり最初の転校をした。
そして、一人で誰も住んでない実家に小学3年の時に帰省して
友人と遊んで幼馴染宅に泊まらせてもらっていてその事実を知った。
それは、クラスメイトの家で起きたこと
当初はそれを理解するのに時間がかかった
それは他のクラスメイトも一緒だった
何が起きたかというと
一家心中
当時、それを聞かされても事実は思えず
いや、ホントに理解が出来なかったのだと思う。
そして、時間が経つにつれてこう思った
「大人って勝手だ」と
自分が覚えている範囲で、書くと
人の死というのには、母方の祖父の死から記憶がある
何歳だったかは覚えていないが、よくて幼稚園低学年だった
葬式で騒いで「誰んちの子だ!!」
親「すみません、孫たちです」と言われて伝説化している。
2度目は、親戚のおじさんの葬式だった
このおじさんは所謂社長さんで地方とはいえ
その地に行けば皆がしてる社長だった。
ここでは静かにしていたが、朝方に訃報を聞き急いで向かったのを覚えているし、葬式でもうこの人とは話せないんだなと理解していた
こう数えると、それが3度目だった
その後の葬式に出てはボロボロに泣いていたのを覚えている
もともと涙もろかったのもあるとは思う。
さて、今振り返ると小学3年というタイミングで人の死というのが
クラスメイトまで降りてきたが、何故クラスメイトは死ななければいけなかったのか?寿命や、病気だけではない
大人になるにつれて、田舎で親だけが自殺して取り残されたとしたら残酷だ
それでも何とかならなかったのか?幼馴染の父親は、消防士でその現場に行ったとか、行かなかったとか当時最速の伝達方法が携帯電話もない、ポケベルもあやしかった時代だったので電話だったハズ
しかし、
最速で届けられた、もしくは立ち会った、いや別のタイミングで聞いて、
知った幼馴染の父親はどう思ったのだろうか?それを幼馴染に伝えたのか?、、、
ここまではある程度の記憶とその時思った感情
しかし、今時を戻すと、むしろなぜこのタイミングで書いたかというと
時計がタイミングが一致したことに気が付く
小学3年の時、日本のバブルが崩壊したという事実に
そして、今思う
大人の勝手で死んだのか?クラスメイトは?
政府のせい?いや、違う世界のせいだったのでは?
そう思った、今まさに思っている
人は1人では生きていけない
それは、この38年という月日で痛いほど感じた
転校したことより、高校から色んなバイトをして色んなバイトをした
その度にこんな仕事があって、そこにはこんな仕事をする人がいるから成り立つのか世界は
大げさに聞こえるかもしれないが、例えば割烹寿司のバイトをした時でさえ見える範囲で
漫画「翔太の寿司」くらいの登場人物が見えてくるものだし、実際に出会った
話を本筋に戻すが、世界のせいでクラスメイトは死んだのか?
やはり自分の答えはYESだ
それは、自分を除いた世界ではなく
自分を含む世界の話
これまで散々Twitterでも見ることができる
誰が罹ったか即調べられ、そして、拡散され、村八分にされる
村八分の恐ろしさは見たことがないが、近所の家を、徒歩3分以内の民家を数えると
両手で足りるレベルの場所で生まれたのでわかるが、
幼稚園までの道のり2Km弱を「誰誰さん家の次男坊だ」と年長さんが1人で歩いて幼稚園に通えるレベルで把握している
これが逆になったらどうか?イメージが湧くだろうか?
道を歩いているだけ、
近所の、スーパーに行く、コンビニに行くくらいの距離で誰が誰の子で、どんな親でどんな仕事をしてるか知っているのだ
生活圏そのものが修羅の国と化すんだ。
人の目を気にせず生きる?本筋から離れた話でも触れたが人は1人では生きていけないんだ
誰が配送をしてくれる?誰がレジを打ってくれる?誰が見ている
そして、見られている人を知っている。レジを打っている人を知っている、配送する人を知っている。
そんな世界が、バブルが弾けて生活苦になっている人をどう見るか、、、ゾッとする
誰かが助けてくれる?いや、無理でしょう。もしかしたら、田舎で暮らしていたらそうなってたかも
確かに、多めに野菜取れたからとか、そんなことでご近所に配って、時には交換になったりといい面はある
でも、持たざる者はどうすればいいのか?
勇気を持って無理そうというのを早めに、早めに手を挙げて欲しい
死んだら何も出来ない。
少なくとも小学3年生の時ついた何かの痕の本当の意味に気が付くのに途方もない時間がかかりました。
これが正しい解釈なのかはわからない
自分は我慢しているのに誰誰はズルいとかそんなのは耳にタコが出来るほど聞いたセリフでかき消していきましょう
「人んちは、人んち、ウチはウチだ」
シンプルに資本主義なんだ
今自分は、38歳、あの日クラスメイトの父親はおそらくこのくらいの歳だったんだろう
もしかしたら惨めな思いをさせるくらいならと、、、クラスメイトに手をかけたのかもしれない
自分で自分を殺めるというのが、想像を絶するほどの決断が必要だ
でも調べるとなんとか生きていける方法がある。共産主義なんぞ信じないみんなやってるから大丈夫精神ほど怖いものはない。必死にやってその分報酬を得るのは当然のことだ。後ろ指を指されるのが嫌ならその場所から別の場所で暮らせばいい。日本は意外にも広い。嫌な奴もいる、沢山いるけど他のところにも場所はあって助け合ってる場所もある。村八分する人間を追い出してきた場所もある。
不幸自慢をする気はさらさらない
でもそんな自慢も生きているから出来る
どんなに惨めな思いをしても生きていたらいいことはあるよって簡単には言えない
子は親を選べない、人は生まれながらにして不公平
ホントにそうだと思う。
コロナ禍の今が真っただ中なのか、まだ序曲なのか、それともすでに光が見えているのかわからない
でも終わった先に、クラスメイトと同じ悲劇が起きるのを何とか阻止したい
生きにく世の中をなんとか変えたいなどは、甘ちゃんの考え。
そうかもしれないけど、あの日の痕はまだ消えてない
散々世間を困らせてきてしまったキレる世代で私たち38歳
今できることはなんだろうか?幸い私は在宅で仕事が出来る
この仕事も、30歳で転職したのがきっかけだ
未経験でも30歳からシステムエンジニアになれる
年収500万だって超えられる。20台前半は年収は140万以下だった
東京で生きいくには、税金を引くと1日100円使えないレベルだったしバイト先まで電車で行くのが無理だったから自転車で行った、その辺の雑貨屋さんで売ってた自転車で所沢からお台場までの道のりは晴海大橋が無く朝9:00入りだったので朝3:00に出た
この世代と言えばいじめという言葉が出回った世代
学生気分でいじめを続けているのかと甚だしい気持ちになることも多い
でも、きっといじめてる本人は知らないだ。村八分ということを
やられたらどうなるかを想像する心を持ってほしい。好きでそうなったわけじゃないんだ。
人は、自分の正義で人を叩く
その結果死んでしまうことも知らず、
その死を悲しむ人がいることを知らず、
人間が人間にしていいことじゃないことをわかれない人の形をした何か
当たり前は当たり前なんかじゃない
やられて嫌なことは人にやらない
あんな大人になりたくない
そう思ってここまで来ませんでした?
少なくとも25まではそう思ったでしょ?
(まだそこまでいってない読者の方すみません、でもそんな大人いたでしょ)
1人だけど1人じゃないんですよ。
確かに自分が明日いなくても今のプロジェクトは回っていく
自分も世間の歯車、それも小さな歯車
歯車でもいいじゃん、
でも無理な時は無理って言わないと逆に迷惑がかかって
他の歯車に負荷がかかるし、
そのシャフトやフレームに亀裂が入るかもしれない
無理そうなら早く言おう
遅くなっても言ってみよう
全然答えになってないけど、今はそう思う
自分も限りあるどころか、ちょっとあやしいけど
今は見えるところにお金をおとしていきたい
ここまで散々書いても、クラスメイトのことを思っても顔も名前も思い出せない。あの日からかも知れない、出会った人の名前と顔忘れないようにしよう でもそろそろ記憶が曖昧になってきた。
そんな歳まで生きてきたんだな。28年前の自分へ
こんな大人でごめんね
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