新たな沼にハマる時❶

1972年生まれ、第二次ベビーブーマーの私はジャニーズアイドルの全盛期をリアルタイムで体験したラッキーな世代だ。

最初にハマったのはフォーリーブスの北公次。どこか影があり、アクロバットもこなすかっこいいお兄ちゃんだと幼女の私は思っていた。ブルドッグがめちゃくちゃ好き。

熊本のど田舎の子供だった私は、川崎麻世、たのきんトリオ、ひかる一平、シブがき隊、少年隊、イーグルス、男闘呼組、光GENJI…と公開放送で見かける親衛隊に憧れながら育った。あのお揃いのハッピを着て私も応援したいと真剣に思っていた普通の子だったwwww

こんなにアイドル大好きなのに、「不良になる」という両親の教育方針で中学生になっても明星や平凡を買ってもらえず、ドル誌以外ならいいのねとパチパチやパチパチロックンロールなどのバンド系雑誌を購入するようになり、高校時代にはドル誌は友達に見せてもらい、自分はメタル誌BURRN!を購読するというよくわからない生活をしていた。

大学に入った頃にデビュー前のSMAPの稲垣吾郎に庇護欲をかき立てられてどハマりしてしまい、「10代の記念に」SMAPのファンクラブに入会してしまう。

それまでジャニーズで好きだったのは北公次の系譜を引き継ぐ薬丸裕英、大沢樹生、高橋和也と言ったワイルド系や、歌唱、アクロバット、ダンス、芝居、バラエティスキルといったヒロム(ジャニーさん)の求める要素を全て持っていた錦織一清様だったのに。

ただ、ひかる一平をなんか頼りなくて可愛いと思っていた時があったので、庇護欲は元々あったものと思われる。

吾郎のテンポがおかしい省エネダンスを可愛いと思って見てたし、歌も下手だけど、演技は上手いからとか言ってたな。ついでに言うと、キムタク×吾郎だと思ってました。

カラオケ全盛期に近いのに、SMAPの曲がずっと入らず、10枚目のシングル10$がヒットしてようやくカラオケに入ったので「私の役目は終わった」と茶の間に戻り、二足の草鞋状態だったヴィジュアル系に本腰を入れ、その後、及川光博に溺れ、ちょっと落ち着いた30代半ばに差しかかる頃に結婚し、出産、育児をしていた。


前置きが長くなった。

息子が3歳ぐらいの頃、Amebaピグというアバター&チャットシステム?ができた。地元を離れ、専業主婦となり、ママ友もいない私にとって、ママ専用チャットルームのピグ友たちは新たな話し相手となり、馬の合う子とはリアルで繋がった。

そして、2013年、ピグ友から送られてきた一本の動画リンクが私を沼に引き摺り込むこととなる。

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