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母子家庭保護施設に実習に行った話


前回同様に実習に行った話です。

大学4年の時に
私は母子家庭保護施設を選択しました。

私自身が母子家庭育ちだったからです。
では私が育った母子家庭と
ここで暮らす母子家庭とは何が違ったのか?

それは例えば夫の激しい暴力などで
裁判所などによって接近禁止措置が
取られたなどの理由で
匿う必要ができたことなどです。

この施設で暮らす母子は
時に偽名を名乗って暮らしていました。

昨年の施設での衝撃を味わった私にとって
初日に味わった感想は割と普通なことでした。
保育園から小中学校
一貫となった学童保育のような
感じでした。

こどもたちも目に見えてわかるような
大きな障碍などを負ってるように
見えませんでした。

ただ目には見えないけど
確実に心に傷を負っているとのこと。

各施設に実習に入る時は
必ずそのような事前情報や注意点が
周知されるのでした。
なんだかんだ私たちは
各市町村に点在するそのような福祉施設に対して
正しい事前情報を持ち合わせていないのです。

二つの実習を体験した私からしてみたら
必ずイメージと体験の
そのギャップというのは
少なからず存在するのでした。

実習を通して私の先入観の壊されたことが
何度あったことか。

辛い経験を得てきたこどもたちは
必ずしも暗い顔をしているわけではなく
普段友達と遊ぶ時は
普通のこどもたちと何ら変わることなく
遊んでいたのでした。

こどもたちが
学校に行っている時間は
私はほとんど
うさぎ小屋の掃除などの雑用をやっていて

あまり福祉施設に実習にきている
実感を得られる機会をほとんど
感じない日々でした。

そんなある日ある一人のお子さんから
こんなことを聞かされました。

先生、私ね、
 言っちゃいけないんだけど
 本当は〇〇っていう名前なんだよ


その瞬間に私は
忘れかけていた
その子たちが名前を隠さないといけない
事情の中で生活しているということを
思い出しました。

このように私たちの生活は
平凡なようで様々な問題が見え隠れしています。
暴力的な現場や惨状はあまり
人目に触れる場所に露わになることはなくとも確実に存在するリアルなのです。

戦争の反対は平和ではないといいますが
人との争いというものは
ウクライナ戦争など表面化するものではなく
日常にも溢れています。

戦争が起こらなかったらいいわけではなく
戦争がまだこの国で起こっていないからではなく
普段から人と人との関わりの中で
誰かの人権を守る努力を続けていかないといけないとおもいます。

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