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1人で出来ることを卒業する

SISです。お久しぶりです。
最近私生活で様々な変化がありました。

まず11年勤めた会社を
今月いっぱいで退社して
新しい仕事に就くことが決まりました。

そこで有給消化の
1ヶ月の空白期間が発生したのですが
1人でドバイに旅行に行くことを決めました。

もし行けそうな人がいたのならば
女性限定で行ける人を募ったのですが
なかなか行けるような人はおらず
一人旅することになりそうです。

少々不安な気持ちもあります。

ですがここで断念せず強行するのが
今の私です。

つい10年前までの私は
参加者がいないことで
諦めていたのですが

1週間近くも
時間を気にすることなく
海外に行けるような機会は 
仕事をしているとそうそうないので
後悔しないように腹を括るつもりです。

それを達成すると
11月に行くライブで
私の中の「死ぬまでにやりたいリスト」
はほとんど終了してしまいます。

「それじゃ今後の人生どう目標にして
 生きるの?」という問いが生まれますが
ここまでの「やりたいリスト」は
あくまで
自分ひとりで叶えられることにおいて
です。

これらのことはまわりの意見を犠牲にしてでも
なんとしても叶えたいことでした。

でもそれらを叶えてしまうと
ある程度自分の中で
一つの怨念が成仏するのです。

その怨念とは
今まで人の意見を気にしてきたばっかりに
 自分の生きたいように生きれなかった

と考えている過去の自分の怨念です。

私は小さい頃から
少し感性が人より違ったり
手先が不器用だったり
体が弱かったこともあり

家族や友達と一緒にいても
自己肯定感は下がる一方でした。

「どんくさいね」
「頭悪いね」
「変な子だね」

そんなことを言われて育った私は
文字通りの人間になり
やりたいことがあってもどこか
「自分には出来ない」と
欲望にブレーキをかけていました。

親元を離れ地元を出て
私のそういったブレーキが
徐々に壊されていくにつれ私は
そういった周りのイメージに
気を遣って
やりたいことを避けていた自分
に気づき

それならば
人といない方が
自分のやりたいことは叶えられると
考えるようになりました。

具体的なエピソードでいうと
自分が行きたいと思ったイベントに
一緒に「行く」と言っていたはずの
友達が急に行けなくなり
イベント自体を断念したり

自分がやりたいことを親や友人に言った時に
様々な理由での制止がかかり
結局断念したり

なので私は
本当に行きたい時は1人でも行く
本当にやりたいことがあったら
人に言わない
もしくは反対しない人にだけ言う
を徹底してきたのです。

私が新しい人間関係を
求めがちなのにもここに理由があります。

自分がやりたいことを制止してくるのは
親や同僚など
付き合いの長い人が多いです。

今までの自分を見てきて
「出来ない」と判断して制止しているのです。

ただ日々私は変わっています。

昨日できなかったけど
今日できることもあるのです。

だから常に
アップデートした自分を見て欲しくて。

新しい人ならば
あまり反対する人はいないでしょう。

そのコミット自体がその人の
アイデンティティとして記憶されるからです。

私は新しい職場の面接で
「人に恵まれてきた」と言ってしまいました。

もちろんその気持ち自体に
嘘はなかったつもりなのですが
上記の理由で
そう思えていなかった
自分がいたかもしれません。

ネガティブな言い方をすると
今まで自分に対して
価値を低く見積もってきた人たちと
より距離を置くことによって
自分は自分の夢を叶えてきたんだ

というマインドがあります。

ただ私は1人でドバイに行けた時には
ひとつ考えるだろうなと思うことがあります。

こんな人生最高の景色も
誰かと一緒に共有したいな
とか
ここまで自分の夢を叶えられたのは
今まで倒れたりせず
健康を保ってくれた両親のおかげだな
とか

そういう少し他人軸に向くような
気持ちが芽生えるのではないかと
期待しています。

自分が最低限やりたいことは叶えて
これからはオプションのようなものです。

これから私は人にこういった気持ちに
させてあげられるような
マインドを磨くことをテーマにして
次の仕事を始めようかと思います。



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