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それはある



秋名がまだ自分の里にいた頃。
ほの暗く、冷たい塀の中で光を見ていた。


――


秋名は生まれた頃より色々なものが見え、感じていた。
特に未来をよく言い当てた。
何がどのように進んでいくのかを、まるで見てきたように語った。
次の村長は誰になるだの、そろそろアイツは死ぬ、だの。

それはまわりに恐怖を与えた。

秋名が育った村は、目に見えぬものに対して排他的な思想を持っていた。
神に対する信仰はあったものの、警戒心や恐怖心が強く、わけのわからないものは排除するという姿勢であった。
それに気付くのが、遅かった。自分が周りの者と違うのだと認識する頃には、秋名は親に幽閉されていた。

古くなった家の、そのまま残されていた馬小屋部分に穴を堀り、木製の粗末な格子で隔てた空間に、縛られ杭を打たれ、くくりつけられていた。
扱いは酷かったが、殺されるわけではなかった。

体は傷つけられたが、顔だけは攻撃を受けなかった。
“色々なこと”に利用されることもあったが、秋名は平気であった。
光を見ていたからだ。

いっそ殺してくれと思うことは何度もあった。
与えられる食事をとらないようにしたこともあった。
しかし今は。光を見てからは、這いつくばいながら、犬のようになりながらもすべて平らげている。思考するために。

忘れるな。思い出せ。いつ、どこで、誰がどんな言動をしたのかを。それによって何が起きたのかを。

大切な人のために。


人がやってくる気配に目が覚めた。
兄の歩き方だな、と秋名は思う。
兄弟はそれなりにいたはずであるが、ここへやってくるのは大抵一番上の兄と父親くらいである。

秋名は目を覚まさせられた事に、舌打ちをした。

「聞こえたぞ」
似ていない兄の、似ていない声が聞こえる。
秋名にとっては、日常的な、取るに足らないことである。
それよりも今は大事なことを考えている。兄にかまっている暇は、ない。
兄はそこらに放ってある木の棒を手に取ると、

「なんだその態度は」

と言って秋名を殴った。
軽い木であるから殴った音は軽い。重症を負うほどの怪我にはならないが、痛いは痛い。しかし、あちらの痛みに比べれば大したものではない。


「おい、渡す前に傷を付けるなよ」
父親の声であった。
二人揃うとは珍しい、と秋名が顔を上げたときだった。

気配を感じた。
目を見開く。

「お前に買い手がついたぞ。わざわざこちらまで迎えに来て下さったのだ。ご挨拶しなさい」
父親が言うと同時に、不思議な模様の面を被った男が、小屋の中に入ってきた。
秋名は息を呑んだ。

「やあ、秋名」
面の男のやわらかい、声。

「ここにいたんだね」
緋と紺の狩衣を纏い、茶色く長い髪を下げ髪のようにしてひとつに束ねている。
品位のある佇まいである。

「初めまして、と言うとちょっと違うかな」
それを聞いた秋名はぼろっと泣いた。
ようやく会えたのだ、と思った。

「匡靖様・・・」

秋名は面の男の名前を呼び、頭を垂れる。
嬉しく、そして――

残された時間は多くない。と思った。

こちらでよろしかったでしょうか、と兄が言い、支度をしますのであちらでお待ち下さい、と父が匡靖と従者を連れて行った。

兄が近くへ来て、鎌で縄を切り始めた。
「オヤジと一番近い大きな村に行ってよお、お前を売りに出したんだよ。お前の見た目に可愛げがなくなって、飽きが来たからさ。そしたら、あの変な男が即刻買ったんだぜ」
なかなか縄が切れないのか、何度も鎌をいれている。
「最初だったからよ。物の試しに、さすがに売れねぇだろうなっていう値段で出したのに、たまげたな」

ぶつん、と縄が切れた。
「・・・で、いつからわかってたんだ?」
兄は秋名の耳元で、続けた。
「お前、あの面の男の名前を知っていたな。・・・ほんと気持ち悪い」
おら、立てよ。と言われ、秋名は立ち上がった。杭とを繋ぐ縄が断たれたので立って歩けるようになったのだ。腕はまだ縛られているが、兄はそれを解く気はないようだ。
「まあ、向こうもお前のことを知ってる風だったから、お仲間ってとこか?それとも・・・まあ、いいか。金を受け取ったらさっさと出て行ってもらわないとな」

教えてやることはないが、兄の言っていることは正しい。
秋名はもうずいぶんと前から、匡靖様のことを知っている。

匡靖の従者が金を父親に渡し、秋名は匡靖の元に渡された。
受け取った風呂敷を取り除き中を確認した父親と兄は、見たこともないような額に驚いたような顔をした。
「では、では、こんなへんぴな村にもう用はないでしょう、ささ、お車の方へどうぞ」
などと言いながら、にやにやした顔で去ることを促している。

車というのは牛車のことであった。
秋名にはひと目でわかった。これは、実体のあるものではない、と。目に見えていても、自分が信じる正しいものかどうかはわからないぞ、父と兄よ。と思ったが、それをわざわざ口に出すことはない。

「淘汰、縄を解いておやり」
匡靖が言った。
淘汰というのは匡靖の式神であり従者である。それは知っているが、それ以上のことはわからない。ほとんど人間のように扱われており、位も高い。
秋名は、一応頭を下げておいた。
匡靖の言葉に淘汰は御意。と返事をして、懐から札をとり出した。

『形』

淘汰が唱えると、札は刃物のようなカタチをとり、鮮やかに下から上へと秋名の縄を断ち切った。
ヒッと父親と兄が声を上げ、父親の方は尻餅までついて、その後逃げるように村の中へと走り戻っていった。
その情けない様子を秋名は最後まで見届けた。あらゆる本を読んだが、なんとも例えようがなく、複雑な心境だった。

匡靖が牛車に乗り込むと、やわらかい、不思議な力があたりを包み込んだ。牛車が動き出そうとしている。
「このまま向かうのですか」
小野家の屋敷がある、センビに囲まれた村に。
すべてを口には出さなかったが、伝わったようである。
「そうだね。寄り道をしながら戻ろう。外の世界も見ておくといい。これが最初で最後だろうから」
淘汰は定位置なのか、牛車の右側について待機している。

「これは私から秋名に」
「!」
牛車の中から、色白の細い手で差し出されたものがあった。
「筆と墨と、紙」
「会う度に欲しがるからね」

この日から秋名は記録を取るようになる。
そして思い出せる限りのことも綴った。
最初の夢は、今でも鮮明に覚えている。






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