本編を履修しないまま、スタツアを勝手に解釈する〜四ノ宮ソロから一ノ瀬ソロ〜

愛をボナペティ♪

この歌、このコンサート内で一番楽しいよね。という曲である。
一人だけ突然Eテレの夕方放送か、女児向けアイドルアニメみたいなパフォーマンスを始めた男、四ノ宮那月。
この四ノ宮那月という男が、実は一番正体をつかみ損ねていたタイプだと思う。初めて見た時の印象から、見ていくうちにイメージが変わった男でもある。当初は、結構気づかいなところがあり、なんでもにこにこ受け止めてくれるが、どこか我が強い部分もあるタイプでもあるというイメージではあったのだけど、そこの塩梅が回数を増していくにつれて変わっていっていく。
というか、この男、めちゃくちゃ「マイペース」だな…?そして、ある意味で一番男らしいきっぱりしたところもある。
いや、初めて見た時からこのコンサートで彼が創り込んだ世界まじで独特だな、とは思っていたし、彼のことは相葉雅紀みたいなイメージでいたのだが、今、改めて思うと、かなり相葉雅紀との共通点が大きい気がする。マジでそういう意味でもめちゃくちゃ我を通す男である気がしてならない。繰り返すが私は嵐に造詣が深くないので、相葉雅紀にもそんなに詳しくないのでかなりの偏見でものを言っている。
なんかめっちゃ優しいし、なんでもいいよいいよって笑って聞いていてくれそうだし、みんな楽しいね~みたいなEテレに抜擢される母親層ウケ抜群な存在であるという意味では、あまりイメージとして変わっていない。
が、結果として彼から我々にお出しされるものが想像していた一般的なやさしさで出来ている感じがしない。ちょっとずれている。本人はまじめに頑張っているし、その優しさや努力は間違っていないし、なんなら器用だとも思うのだが、お出しされるもののが何故だかちょっと一般的な感性とずれている。
あのマカロンの造詣で気付くべきだったのだ。(ただ、前述したが現在の私はあのマカロンをセシル君が作り出した魔法の生物だと思っているので、セシル君が創ってくれたそれを見て那月君が「え~~!すっごく可愛い!!一緒に踊りたいです!」といってダンスに加えたという幻覚を視ている)
アイツを指にのせていることを、あのコッテコテソーキュートクッキングアイドルキッチンを用意してきた時点で、私の中でディズニープリンセス系だと分類してしまったが、Eテレの名物お姉さん系である。
彼が歌うと動物が集まり素敵なリボンを使ってドレスを仕立てるとかはまあ、ありそうな話だが、できてくる衣装が流行りの衣装じゃなくてこってこてのプリンセス衣装になるのだ。多分世界観がビットランド。
こう、おしゃれのために頑張って薄着している女の子に分厚い腹巻(パステルカラーなので可愛い♥)を渡してくるタイプだ。
優しい男であるのは決して間違っていないと思うし、ふわっとした雰囲気を感じるのも変わらない。が、今回のステージについて、よくよく見ると彼が気をかけて面倒を見ているのって、正直来栖翔にだけなんじゃないだろうかと思えてくる。それも、こう、べたべたしていないのだ。ちょっとこの辺りの話はユニットソングの後のMCに取っておきたいので、一応置いておくのだが、結構彼、一十木音也と近しい性質を感じる。音也君程パフォーマンスの中で突出して勝手なことしないので、優等生でそこまで個性を出してこない、気質も確かに在るのかもしれない。
ただ、一応言いたいのが、現実のアイドルを見ている側からすると一十木も相当お行儀が良い。スタリちゃんはみんないい子なんだよ……と溜息を吐くジャニオタとの二足の草鞋のオタクが視える。ちょっとこの女の履いている草鞋によっては話が重くなるので追及するのはやめておいてほしい。私も自分の脳内なのに、何が出てくるのかわからないのだ。
当初の那月君へのイメージが最早おぼろげなのだけれど、「もともとかわいいものが好き」というのは彼の中にあるが、周りから向けられる期待やST☆RISHというアイドルがどうあるべきかというアイドルとしての在り方の中で、四ノ宮那月という男は、自己の趣味を抑えてパフォーマンスをしてきた部分があり(主張しないという性質に合致する)、今回のソロパフォーマンスでそれを解放したのではないか。自己主張と周りを巻き込むという部分を彼は見せてきたのではないか。と考えていたように思う。
これを改めて咀嚼しているのだけれど、その考え方そのものはそこまで間違っていない気はしている。
なぜなら、この後に続く4Uのパフォーマンスも、ST☆RISHとしてのパフォーマンスにおいても、彼のダンス表現なんかは割と彼のスタイルや外見に即したワイルドな方向性が強い。
だから、MCとそのパフォーマンスの温度差でめちゃくちゃ好きなオタク居そう~っていうか、四ノ宮担ってバラエティに出ているかわいい四ノ宮のイメージあるでしょ?でもコンサートでのダンスとか、歌ってるところめちゃくちゃかっこいいから!!!!って布教してきそうな雰囲気がある。
そのワイルドな彼が好きな女と、そもそものぽやぽやが好きな女と、本人から出てくる独特な世界観が好きな女とオタクはそれぞれ居そうなのだが、この界隈、結構同担の出会いに癖がありそうだ。互いが互いの地雷を踏みぬく可能性がある。脳内で推し方問題あるある選手権をしてしまった。二次元の方の四ノ宮君はなんか普通に本人のキャラクターが強そうなので、そこの三すくみもそこまで強くはないと思うのだが、あちらのオタクはこの派閥、結構危険な香りがプンプンするぜ……と私の野次馬センサーが反応するのだ。実際に安易に振れると、鋭利な爪とか本物の包丁が出てくる可能性がある。
では、何が変わっているか、というと現在のST☆RISHのメンバーは彼の性質を理解して受け入れているし、四ノ宮自身も自己の趣味や性質について一定の自信を身に着けているような気がするのだ。MCなんかでもうまく回っていると思うし、彼は決して夢だけ見てふわふわしたことだけやっている天然ちゃんみたいなパフォーマンスをしているわけではない。
こう、四ノ宮那月という人物の格好良い外見と、四ノ宮那月というキャラクターの特徴というのにギャップがあることがこのアイドルの面白さで、これは恐らくクラというシンメの根幹的な共通点だ。
自己のありたいものというか好きなものと、自分の外見的性質が一致しない。
というか、なんかよくわからんけど、彼、筋肉担当なんじゃないかという気配も感じている。なんだろう、セシル君がしなやかなネコ科の筋肉担当だとすると、四ノ宮は心優しくてかわいいゴリラだ。可愛いものが好きだが、そもそも力が強すぎて壊しちゃいそうで怖い!みたいなタイプでもある。あの、よくわからないけど生クリーム粟立てているときの腕とか、そもそも服をぱっつんぱっつんにさせてガタイの良さなんかを見せてるところにそういう要素を感じる。だから、なんかめっちゃ筋肉優位のダンスパフォーマンスを見せている気がする。なんかこう、脂肪はないけど体重は重そうだ。水に浮かぶ気がしない。肩に人を二人乗せそう。音也君と翔さんをそれぞれ抱きかかえながら歩いていたとして、納得できる。なんかダンスのワイルドさもフィジカル優位な感じあるんだよな…。
そのあたりも来栖翔との共通性と対比を感じる。
これは特に十代の内は非常に彼らを悩ませたものではないだろうか。
その中で四ノ宮は「求められていること」に応える道を選び、来栖は「自分のやりたいこと」を求めていそうなキャラクターだ。
なんというか、このシンメは外見的にも身体的にも相手が自分のほしいものを持っている相手であるイメージがある。お互いにないものねだりをしていることを知っている。自分が持っていないものを、相手が持っている羨ましさがお互いにある気がする。彼らの間にもなにがしかの衝突は有ったのだと思う。特に来栖翔はそのあたり口に出しそうで、四ノ宮那月は飲み込みそうなので、もしかすると少なくない拗れがあったのかもしれない。
ただ、私は今の彼らしか知らないので、彼らがお互いに強い信頼で結ばれ、互いを理解していることを感じている。これは、多分なんだけれど、「ほしいものをストレートに手に入れることができない人間としての葛藤」を誰よりも知っているのだと思う。そういう意味で、彼らは自分たちだけの間でしかわからない苦しみの共有をしている。そして同時に「それでも、自分のやりたいことと、自分の持っているもの、フィジカル的な部分を活かして自分らしい自分」を掴み取ってきた達成の喜びもまた、共有しているのではないかと思うのだ。
だから、相手が努力してきたことへのリスペクトも強い。最も理解できる存在で、最も頼りになる存在でもあるんじゃないかと思う。そして、それをほかのシンメ程ドラマティックに受け止めていない。あいつなら大丈夫とか、アイツがこうなれてよかったとか、そう思っているだけだ。彼らはあるって来た道をじゃーん!みてみて!と他のメンバーに見せることをためらわないだろう。しかし、その歩いている中で共有した互いの柔らかい部分は、シレっと隠してしまうのだ。
気付けばまたシンメの話をしてしまった。
ちなみに、これは本当にずっと憶測なのだが、四ノ宮が自分のやりたいことより人から求められたことを優先したことは、彼が弱かったという話ではなく、そこは彼のひたむきな性質だと思う。人を思いやる心でもある。他者を思いやるやさしさを、彼は自身の強さから当たり前に与えることができた。しかし、それは同時に彼の本質にある趣味をないがしろにする生き方でもあったのだとは思う。これまで、彼が周囲からの期待に応えたうえで、自己を殺さずに生きてこられたというのは、彼の強さであるだろうという思いと同時に、彼がST☆RISHとして、シンメの来栖翔と、そして今いる6人の仲間たちと歩んできたから手に入れた成果なのだと思う。みんなで一緒に歩いてきたから、両立ができたのではないかと思うのだ。
だから、今の四ノ宮那月のパフォーマンスを見ると、格好良い踊りもかわいいパフォーマンスも大好きなんだろうなと思うのだ。
彼は自分のやりたいことだったりとか独特の感性を持っていると同時に、こうしたら素敵になるよなという客観的な視点も持っている部分もちゃんとある。
とはいえ、それを他者に伝えるにはかなり関係値が必要そうな、ある種難解な人間性を感じる。
さて、四ノ宮という人物に関する話をしてしまってあまりパフォーマンスの話ができていないが、この夢かわボナペティは恐らく四ノ宮らしさってものを前面に出したステージなのだと思う。
ここまでくると、改めてやはり言葉にしてしまいたくなるのだが、このコンサートにおける七海女史のやりたいことがメンバーの本質的な「個性」とメンバーがこれまでの道のりで得てきた「変化」をそれぞれのステージで最も魅力的に見せる構成をしているということがあまりにも分かり易い。
初めてコンサートを見たときに感じた「二面性」というか、これまでこのアイドル達にオタクが抱いてきたイメージを一度ぶち壊すような、一歩踏み込んだようなステージにしたいという熱意を感じ、同行したフォロワーに真っ先に熱く語ってしまったのだが、改めて整理してみても本当にそういう物であるとしか思えない。
初めて見たときに彼女を「タッキーとMJの娘?」と聞いたが、なんかもう融合召喚された概念か何かだと思う。彼女の期待に応えるには生半可な覚悟じゃ到達できる気がしない。
そして、那月君らしさを前面に出したパフォーマンスで着ぐるみに入った来栖翔と神宮寺レンが居るのもたまらない。いや、実際神宮寺の方はだいぶ巻き込まれた感を感じてしまうのだが(これはEDでまかろんあーんされている来栖とそれをまたやってると眺めている感じの神宮寺の印象によるものだ)、こう、彼の世界の中でメンバーが顔を出すこともなく存在してその世界を盛り上げる感じ、とっても愛がある。
四ノ宮那月ワールドに会場全てを巻き込むという意図が明確だ。
そして巻き込まれた会場が全員で一緒に同じ振りをするのも、楽しそうにめしあがれしてくれるのも、最後までお店という体で終わるのも、全部めちゃくちゃかわいい四ノ宮那月が大好きな世界なんだろうな。
あと本当に着ぐるみを着た二人はめちゃくちゃ体力使ったと思うのでよく水分補給してください。あのてちてちした動きとかダンスとか、絶対体力使うよな……レン君、ほんと平気?なんか、カロリー流し込まなくて平気?この後一旦着替えも入ってくるし二曲休めるけど、まだダンスもあるよ?唐揚げとか食べる???翔さんは出番も近いし、そこのマカロン全部食べときな。
あと、どうでもいいけど、この着ぐるみ演出すごいMJっぽいんだけど、MJだと絶対着ぐるみの首とって躍らせるよね~っていったら、それ既出ですって言われた。既出でした。

TRIGGER CHANCE


要素を拾い上げて見れば見るほどEndlessSHOCKなんだけど、ぜんぜんSHOCKじゃない。
ジャニオタなりミュージカルが割と好きな人な人なら多分聞いたことがあるであろうEndless SHOCK。前回の記事でもさんざん擦ったので、もし続けて読んでいる人が居れば(奇特な人だが、すでに五万字に近いこのNoteを読んでいる時点で押して図るべしな気がする)、またこの女は SHOCKの話をしている……と思うだろう。
さっきセシルくんのところでもしたからな……。
セシルくんのときに思い出したから心に帝劇の気配が残っている、というわけではなく、このTRIGGERCHANCEを何度か見ているうちに、およそ2012年位のSHOCKをおもわせるステージセットなのだと思い至った。
そもそも、SHOCK内の曲の中に、「シルクハットにスティック指で回して踊り明かそう」と歌う歌詞がある。(https://www.uta-net.com/song/230373/)
これとシルクハットとスティックで行う振りから連想されたのが一番はじめなのだが、そもそも、でっけーコウイチの顔面が舞台で突然現れたりビカビカネオンのブロードウェイが出てきたりひとが高所に飛び上がったり、舞台がブロードウェイという点が類似点だ。
そんなの少年漫画で修行編があるくらい当たり前でしょー!っていわれたら、まあ、アメリカのショービズをイメージしたこだわり型アイドルがやるってなったらこうというあるあるとして認めていきたい。
そういうものの土台に2000年から2000回公演を達成し、今なお帝国劇場を満席にしているモンスター演目として君臨しているだろうし、そもそも、私がここ数年毎年のように観ていて、9月にも博多座に遠征したばかりなのだ。福岡出身の彼と縁深い気持ちになったところで責められるものではないだろう。
とはいえ、なんでこんなにSHOCKの類似点と擦るかというと、SHOCKとの相違点からこのステージを咀嚼したいと思っているからだ。
そもそも、実際にこのステージを見たとき、真っ先に受けた印象はThis is MJ!!なので、SHOCKリスペクトだ!みたいに思ったわけではなかった。あのなんか、ぐるぐる回るド派手メリーゴーランドみたいなやつ、センスがMJっぽいし。
冒頭のスターツアーズで私が彼のカメラ目線にビビり倒したのは、既に十分に伝わっているとおもう。
その時の私は彼をステージバカ一代、プライドエベレスト、うずたかい自意識と圧倒的理想主義を体現した変態的完璧主義者と解釈したと思う。
彼の印象をそのまま語ると、ステージ構成には一切の妥協を許さず、アイドルとはこうあるべきという自身の理想を追求し、常に高みを目指す、ある種孤高のタレントであると考えていた。
ダンスのふりを確認するときにマイクのスイッチングのタイミングもメンバーどころかバックダンサーの立ち位置にも口を出すタイプで、ダンスの関係で曲の尺も調整させてくるだろうし、コンサートが始まる直前まで細かい打ち合わせに余念がない男だと思っている。
自己のブランディングに余念がなく、当然自分が所属するグループに対してもそうだ。
自分のパフォーマンスには絶対的な自身と拘りがあり、誰よりも自分が納得できないパフォーマンスをしたくない。
綻びのあるステージを披露するなんてことは彼にとっては屈辱だし、アドリブによって盛り上がる一時の笑いなんてものは唾棄すべき怠惰である。
ここで、私はSHOCKにでてくるキーワードをどうしても連想してしまう。
Show must go on.
何があってもショーを続けなければならない。
SHOCKの中で何度も提示される命題だ。
それは、たとえ誰かがミスをしても、観客を楽しませるための最大限の努力をしなければならないということであり、常にショーは進化し続けなければならないということであり、ショーに上がる者は人生のどんな苦しみも喜びも怒りも悲しみも何もかもをショーに昇華しなければならないということでもある。
理想に向かって歩けなくなったものから、ステージを降りていくのだ。
私は、元来の一ノ瀬トキヤとはそういう精神性を持つ男だったのではないかと思うのだ。
自分の魂を叩いて叩いて日本刀に鍛えるように研ぎ澄ませて行く、いらないものを削って、何もかもを一つに統合して磨き上げていく、そういう生き方をそもそもの彼はしていたのではないだろうか。
人生はブロードウェイ。
その歌詞の意味に彼の人生観を重ねるのは、自然なことだろう。
しかし、同時に大きな違和感がある。
一ノ瀬トキヤの表情だ。
これは元々の一ノ瀬トキヤという人間をはるか昔にニコニコ動画のマジラブとカラオケのアニメ映像、ついでに先日名前を確認しにキャラクター紹介ページを見に行った程度にしか認識のない女によるぼやっとしたイメージなのだが、デフォルトの一ノ瀬トキヤって眉根と目頭が近いキャラだと思っていた。
突然の図示で恐縮だが、こうだ。

(参考)イマジナリー初期ノ瀬の眉と目の距離

画面の真ん中に目だけ浮かぶとめちゃくちゃ怖いな。
なんというか、顔立ちと10数年前のキャラデザによるあの髪型から察するに、多分そういうクールキャラ枠のキャラデザをしたいたと思う。私は理解力の高い歴戦のオタクなのでお見通しだ。
しかし、実際TRIGGERCHANCEを歌っている一ノ瀬の目と眉の位置がどうかという話である。
もちろん私の想像してた距離感の彼も存在している。が、スマイル!のときなど顕著だが眉根と目頭は離れ、何なら目尻が下がってさえいる。

(参考)私の目に映る今ノ瀬の目と眉の距離

スマイルを書くときには通常こうなると言われたらそらそうなのだが、私だってちょっとだけ絵を書くので知っている。笑顔には種類がある。クールな表情で口元で笑顔を作る、シニカルな微笑み、そういう笑顔の種類も確かにあって、実在のアイドルなら亀梨和也あたりがそういう怪しく美しい笑みを作るのがとても上手い。眉をちゃんとへの字に維持したままの笑顔は普通に存在する。しかし、TRIGGERCHANCEの一ノ瀬の笑顔は綻ぶと表現する他ないし、眉は完全にハの字である。
アイドルというブランディングの中にファンに向ける無邪気なスマイルという選択肢が存在するのは知っている。わかっていないはずがない。かわいい枠とか笑顔に癒やされる枠とか必要な枠である。
ただ、あのプライドおばけの一ノ瀬トキヤが、自分をその枠として処理しているとは本来とても思えない。彼はそういう愛嬌で許されるとかそういうものが、昔は許せなかったと思う。アイドルだからとバカにされ、下に見られることを腹立たしく思い、そういう風潮を作ったのはこれまで甘えたアイドルタレントが半端な仕事をしてきたせいだとか怒っていそうなのだ。笑顔だって計算された最も美しい笑顔を最も美しい角度で見せたいはずだ。
しかし、事実として「人生はブロードウェイ」と歌ったときのあの幸せいっぱいな表情は、計算して作られた表情ではない。推察するに、今彼にとっての「人生=ショーステージ」は笑顔が弾ける類の存在なのだ。きっと楽しくて仕方ないに違いない。
彼にとってのブロードウェイは、すべてを研ぎ澄まし、血反吐を吐くような研鑽の末に到達できる選ばれたタレントの技術の粋であるのが自然であるように思えたのだが、今日までST☆RISHとして活動してきた一ノ瀬トキヤはそのステージをあんな溢れる笑顔で楽しんでしまう男らしい。
まるで、一十木音也のようである。と思ったのは私がソロステージで最後に見せた彼らしい笑顔と重なったからであり、私がシンメというものを信仰しているからだ。
シンメというのは長い年月を歩いてきた結果、互いに全然似てないと思っていたはずなのに相手に対してリスペクトしている要素が移ってしまうものなのだ。
デフォルトイメージの一ノ瀬トキヤは本来、このステージでもっと鬼気迫るパフォーマンスを見せ、もはや他を寄せ付けない思わず放心して息を呑むようなパフォーマンスをするはずなのだ。終わったあと一瞬間を置いて割れんばかりのスタンディングオベーションを浴びるたぐいのそれだ。しかし、実際にステージで見る一ノ瀬トキヤは完全にこのステージを楽しんでいるし、観客も気軽に彼の格好良さなりパフォーマンスを楽しんでいる。カルチャーを浴びるのではなく、エンタテイメントを気軽に楽しんでいる。
観客を満足させるという一点に固執して技術を磨いてきたのではないかと思われる男が、ステージを楽しんで技術を発揮している。
この違いについて、私はST☆RISHだから辿り着けた境地であり、シンメの一十木音也がいたから引き出された表情なのだと思っている。
一十木ほどそのままステージを楽しんでる男を近くで見ていたら影響されないはずがない。ある種自分勝手な楽しみ方をしていた一十木はソロパフォーマンスでは、そこから一弾上がったファンを自分の世界に惹きつけるステージをして、ファンを自分自身で作り上げた世界で楽しませることを目的としていた一ノ瀬が、ステージそのものを楽しんでいる。
別に一ノ瀬が間違っていたわけでも、一十木が間違っていたわけでもない。ただ、それぞれが選んだ一つ上のステージは、お互いの良さに歩み寄ってしまっただけだ。
どちらのやり方も極端で、ファンの数を少し制限してしまうところがあるのだが、より大衆性の高いアイドルになったのではないかと思う。
もちろん、大衆性があることが即ち優れている形であるわけではない。しかし、ST☆RISHというアイドルグループの色はこの方向性であり、彼らはそれぞれST☆RISHらしくなっていくのだと思う。全員が、同じものをそれぞれの形で進化させ楽しみながら同じ光景を見ていけるグループになっているのだと、ソロで感じられるというのは、なんだかとっても素敵な話だと思う。
ただ、ちょっとやっぱり彼は人生をステージにかけ過ぎだし、それはもう変わらないんだろうなって感じだ。
一ノ瀬のオタクで孤高の彼を求めていたオタクはこのステージをどう受け止めたのだろう。
妥協しないという意味では方向性が変わっていないが、孤高という意味では求めているものとは違うと担当を降りたオタクもいる。(イマジナリー現地のオタクの話)彼がいつか自分をどんどん研ぎますませすぎて折れてしまうか心配していたためにホッとしたオタクもいるし、もとからトキヤはずっと可愛いし美人なので何も変わらんが?というオタクもいる。新たな魅力にひっくり返って新規で入ったオタクもいるだろう。トキヤってこんなにとっつきやすかったんだ!みたいなかんじのオタクもいる。ただ、彼の場合変化は劇的ではなさそうなので、意外とざっと追いかけてるオタクは一ノ瀬ってこんな感じだよね、と思っていたのに久々に昔のコンサート見てあれ??ってなってそうだ。


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