本編を履修しないまま、スタツアを勝手に解釈する~ISHからセイクリッドペアーズまで~

続け…!ISHの旅へ

アンコールまで来てしまった。
それぞれのメンバーカラーが光って、互いに向かい合って歌うST☆RISH。
本当に君らって、基本スタンスとして二人称はファンのプリンセスのみんななのに、ことあるごとにメンバーにへそを向けて始めるよな。モニターに全景うつったとしても、アリーナステージ目の前のファンはずっとケツ見てるよ。
本当にずっとファンと自分たちの絆を信用していて、今いる7人のST☆RISHが大好きで、おしまいのありがとうも全部7人から始めたいっていう円陣なの、理解くらいはできるけど、現場のファンさすがに、え!?って思ってしまわない!?
アンコール、メンバー出てきた!!メンカラ照明キャー!!!!で一発目が背中なことってそうないよ??
普通背中から振りむいてキャー!!だから。
まじで、ステージ正面横顔ですらない。アリーナ席のオタクがST☆RISH箱推し絆厨だけで構成されてれば、円陣!!!わーーーー!!!!ってすぐ切り替わると思うけど(どうだろう、あまりの状況にお尻だ……!って思っちゃうかもしれない)、現場視点だと円陣!を理解する前に出て来た!と思ったら背中!!でびっくりしちゃうと思う。
特にステージに近いととっさに理解できないから、感想書くぞ~!って脳内でアングル切り替えたときびっくりしちゃった。アリーナセンステ最前で一番よく見えるのケツじゃん。
映画館とかモニターで確認してた勢は上から確認できたので円陣ー!!!ってすぐわかるし、意図もくみ取れるのでね、OKOK。私はそういうの好きです。実際、ファンはね、好きだからね。推しの背中も尻も。
そもそも、すぐ振り返ってくれるし、歌を聞いてればそんな不満も全部爆発した情緒で押し流されてしまうだろう。だってもう、こっちのキャパはね、ずっと溢れっぱなしだからね。
それにしても、本当にアンコール用の曲なので、再び歩き始めてくれる皆の歌なのが、本当にえぐい。夢の終わりは新たな夢の始まりすぎる。
マジで初回の時は、私がアイドルのするマイク歌唱による大好きヲタクの情緒を爆発させてしまったのだが、やっぱりマイクを持ってもう一度、この先が始まって行くのはまったくけしからん。
アンコールらしいコンサートTシャツでこういうことされると、一生この時間が終わらないみたいで幸せが溢れてしまう。終わるな…終わるな…!!
実際、ほんと、現場のオタクの情緒、なにもかもそれどころじゃないよな。アンコールしたオタクたちも全員鼻を啜って涙を一旦止めようと必死になりながら手を叩き、アンコール!アンコール!ってしてたはずである。いや、まじで絶対大量の嗚咽とすすり泣きが聞こえるアンコールのはずだが、相変わらず現場のファンは訓練されている。実際、その瞬間号泣してもアンコールでは切り替えられるタイプのメンタルを持ったタイプもいるので、彼女ら、彼らの頑張りだろう。泣いてるやつの分も声出してくれてありがとな。
そこから続く歌がこれだ。こんなにも素敵な歩みを見せてくれた彼らは、これからも同じように、そしてまた新たな形で歩いて言ってくれるのだと、歌で見せてくれている。
人生全部を歌にしてじゃないよ本当に。
人生を全部歌にするな。大切にしまっとけ、もう!
しかも、それを言うのがアイドルっていうのも、思うところがありすぎる。
例えば、普通のバンドマンやシンガーソングライターみたいに、自分で歌を作って歌詞を載せてたりする人たちが人生全部を歌にするっていうのは、そういう生き方だ。
そういう人たちっていうのは、そうやって生きていく人たちなのだ。曲なり、歌詞なりにそれぞれの意味を乗せて誰かに伝えることで生きている人たちだ。
しかし、アイドルっていうのは基本的に提供曲を歌う。
ST☆RISHは基本的にすべて七海女史の歌を歌っているらしいので、その点ですごい恵まれ方だ。彼らを思って彼らのために描かれた音楽と、歌詞(歌詞は自分たちで書くこともあるかもしれないが)なのだから、解釈違いというのは基本的にないだろう。彼女は彼らの今を表現する天才なのだとは思うので、そういう意味でも、彼らにとって歌いたい歌になっているはずで、彼らを素敵に見せてくれる歌になっているはずだ。
常にオーダーメイドの服を着ているようなものである。
でも、その服を作っているのは、本人ではない。
彼らはあくまで歌うだけだ。歌って、踊るだけだ。
曲は与えられたもので、彼らの内側から出てきたものではない。
彼らは彼らのために用意された曲を、彼らなりに咀嚼して、彼らの歌として歌っている。
自分の中のメロディでもなく、自分の中の言葉でもない。
それでも「人生全部を歌にして」と歌っている。
この曲の歌詞を書いたのが七海春歌なのか、それとも他の誰なのか知らないが、その言葉を歌う彼らは「人生全部を歌にして」いるように見える。
きっと彼らだってそうやって思って、この瞬間に歌ってくれている。
その、どうしようもなくちぐはぐな、でも本物の気持ちが歌に乗ってしまうから、心が震える。
私達はこの歌を歌うST☆RISHを見たときに「人生全部を歌にして」「歩いていく」ように思うのだ。
それを彼らが楽しんでいるのが伝わって、それでやっぱりファンはずっと泣いている。

イリュージョニスト

これ、インターネットで検索したセトリにわざわざ「デュエット曲」と書いてあった。
三人で歌ったから「トリオ」じゃない?うたプリの世界では三人でも「デュエット」なのかもしれないし、元々「デュエット」曲だったものを三人で歌えるように編曲されているのかもしれない。
そうだとしたら、これはこれとしてエモーショナルだ。
セシルくんは追加メンバー。私は彼らの年表をしらないが、まだ彼がいない「コンビ」の時代に那月くんと翔さんの間で作られた曲を編曲して三人の物にし、コンサートの演出上も歌割上も全く違和感が無い用に再編成している。「無理がない」ということはそれだけグループメンバーの関係性が安定していると言うことだ。メンバーの人数が変わると、それまでにあった曲が別物に変わる。逆に昔の曲が長く活動して行く中で違う色が馴染んでいく。心に滲むような幸せがそこに在ると思う。
いや、うん、なんかそういうエモーショナルもあるんだけど、画面がとにかくかわいい。三人はずっときゃっきゃして楽しそうでかわいいし、なぜか後ろでわやわやしてきゃっきゃしているルレの二人もかわいいし、セットに移動するためになんか曲に合わせて二人で外周を歩いている御曹司もかわいい。
ていうかクラセシって、ずっと楽しいよね。三人とも楽しそうだし、なんか概念としてインスタ映えである。悪ふざけも全部フォトジェニックだ。よくわかんないけどB4サイズで写真集とか出したほうがいいと思う。
無限にかわいい写真だけが載っている、四ノ宮の趣味で作られた三人の可愛いブックを出してほしい。実際に出したらなんでST☆RISHじゃないの!!ってなっちゃうな。仕方ないので、テレビ誌の特集で良い。12ページくらい紙面を貰ってぎっちりお写真一杯撮ろう。
それにしても、この無限に可愛い世界観、やぱり絶対あのマカロンとか作ったのセシル君でしょ。君らだけサンリオなのよ。サンリオのショータイム。いや、あの国行ったことないんですけど、多分これです。
それで見た目がこんなにキュートキューティーキューティフルなのに、ジャンプの到達点の高さよ。身体能力が異次元。フィジカルモンスターが並んでいる。え?フィジカルモンスターが並んでるな…本当に。
あんなにかわいくてポップなジャンプをスカウターで分析すると全部筋肉……!って分析される感じある。
大丈夫?SASUKEとかこのメンツでポヤポヤ出てきて、あーアイドルの番線視聴率枠か~とか思ってた視聴者がひっくり返るやつじゃない??俺は視たが????こう、なんかすでにモンスターボックスとかやってて、来栖翔だけは世間に身体能力化け物枠として認知されてたけど、出てきたら四ノ宮も愛島もやべーぞってなってしまう。せっかくトレーニング重ねてきた元スポーツマンタレントを食うんじゃない。涼しい顔してサクサククリアしていくな。彼らが気軽にクリアするせいで難易度低いのでは?みたいに言われてしまう。他の出場者かわいそうだろうが。と何らかの評論家ポジの人が、全然軽々とやっている彼らがおかしい……と解説し始めてしまったせいでネットではさらにネタにされてしまう。くそ雑魚扱いされてしまう元スポーツマンタレント……ごめんな……誰……?
その後、芸人が結構出ている肉体系バラエティ番組に呼ばれて半レギュラーみたいな感じで特番のたびに呼ばれるようになってしまう。毎回可愛い恰好で出てこさせられて「今日もかわいいね~」っていう所から始まってしまう。でも、来栖翔単体で出てくるときは何時も本気ジャージなんだよな。芸人から「先生」とか「兄貴」って呼ばれてるわけ。なのにクラセシでくるとめっちゃ可愛いかっこするので、「その格好だとアイドル」とか「さすが可愛い」とか可愛がられてしまいそうだ。出始めた当初は何だよこの衣裳ってやってた衣装で、普通にアイドルだからな~とかいって自分の可愛さをうまい事スルーして、三人してトンデモ記録をどんどん生み出してほしい。
セシル君に「魔法はNGです!」と説明する担当と「いや、こんなん魔法やんけ!」とリアクションとる芸人と「この競技ではなんと一切魔法を使っておりません」とわざわざ注釈するアナウンサーなどがいる。「魔法ではありません」と丁寧に切り返してくれるし、こうすればできると説明されて「できーん!」と身体能力の限界を訴える芸人みたいなコンビも名物になってしまう。可愛い。「やまもりおにぎりのために、がんばります」みたいなコメントに「ご飯くれるって人に、着いていったらあかんで?この子ほんま、大丈夫?四ノ宮君」って回してくれる芸人のこと、オタクも好きですよ。四ノ宮君は「じゃあ、僕がいっぱいおにぎりを用意しておきます!」っていって、芸人をひな壇から転がしてくれるからな。
え?どうする?こんだけ場を温めて、バラエティやり切った最後に魔法を見せてあげましょうっていうと、ST☆RISHの残りの4人が出てきてライブが始まってしまうな?最高~~!
音也君が「なんで俺、本編のところから呼ばれないの~?」ってごねてるし、最後のあいさつでも「次は俺も呼んでください!」って主張してる。次は呼んでもらおうね。
ジャンプ一つで全然関係のない幻覚がカットインしてしまった。
クラセシってめっちゃイリュージョニストなんだなあ。
それにしても、こういう楽しいアイドルのアンコール大好き。あれだけじょうちょぐちゃぐちゃにさせるエモーショナルラストソングの後に、等身大で可愛くて楽しいアイドルをがわいわいやっているのをくれるの、本当に分かっている。アンコールはたくさんの笑顔で始まってたくさんの笑顔で終わるものだ。
トロッコに乗って移動していくのもかわいいね。しかも客席との物理ハイタッチのない距離感なのが私の心をほっとさせてくれる。いい距離感だ……実によい。

セイクリッドペアーズ

問題のアンコールである。セイクリッドペアーズじゃねえよ。
何だこのタイトル。検索してびっくりしちゃった。いや、なんか終わった後に全部書いてあったと思うけど、何だこのタイトル。
セイクリッドってどういう意味だっけ?私の想像している意味で合ってる?って思って検索かけちゃった。「聖なる」じゃないよ、馬鹿、もう。
突然ミュージカルするんじゃない、もう。
これ、さ~~~~完全に七海女史の仕業でしょう。わかるんですよ?私は詳しいので。
あの聖川のソロをさあ、作るにあたって、聖川がそのステージにかけた二人の思いを見たからさあ、この歌、歌わせたんでしょう。そして振り付けたでしょ!
ドラマの続編をアンコールで作るな。公式が!二次創作でやるやつだから!って言いながら御曹司のオタクがお礼の振込先を探している。とりあえずCDをショップで見かけるたびに残り一つを残して全部在庫を買ってきてしまっている。お布施先を探してCDの無限回収をしている。
ほんと、公式はそこまでしていただかなくて……って思うのに公式がなぁ~持ってきちゃうんだよな~。アイドルってそういう所ある。
これ、あの、腐売りみたいな側面もあるっちゃあるんですけど、なんかね、そういうちょっと行き過ぎた特別な二人の関係、みたいなクソデカ感情盛り上げてちょっと芝居仕立てにして表現する演出はね、”ある”んですよ。
美しい男二人の絡みはそれだけで価値があるし、古来より愛されているし、一部地域では神聖視もされてきたわけなのでね(古代ギリシャ方面を眺めながら)、演出上の意味深で濃厚な絡みっていうのはお約束としてあるんですよ。
今、プリンセスもおなじみの宮田俊哉の話しようと思ったけど、アイツはダメだ。あいつは最終的に自らの描きおろし脚本で謎の吸血鬼BLドラマを作ったんだった。そこまで来ちゃうと流石に違う。やりすぎだ。そこまでの話はしてない。レッドアイを見るたびに思い出してしまうドラマだ。
話を戻そう。
この演出において、実際の二人の関係にどのような名前が現在ついているか、というのあいったん別なのよ。
これは今回のコンサートを行うパフォーマーという意味で、彼らはお互いの関係とか、それぞれに持っている感情とね、いつもよりまじめに向き合ったんじゃないかなと思っている。あのソロはそういうソロだった。少なくとも私にはそう映った。
だから、昂っているんですよ。
互いに対して何らかの思い入れを、ステージに表現しちゃっているから。
表現することを、どんな形であれやっている人間ならわかると思うんだけど、対象に向き合って、そこから何かを伝えようとエネルギーを使った時には、どうしたって感情が高ぶるものなのだ。
特に体を使って表現するとき、何を表現したいのかそんな風に向き合ったものの中に相手がいたのであれば、今までぼんやりしていた様々なものに輪郭を持たせたとするならば、表現に引っ張られたエネルギーが体の中に内包していく。勿論、パフォーマンスにのせてそれを発揮していくのが表現という物だろうけど、そのパフォーマンスが良いものであればあるほど、感情もエネルギーも昂っていく。すべてやり切って、出し切ったとして、そこにはどうしたって余韻が残るし、余剰エネルギーが体のなかで燻ぶっている物なのだ。
これは、ブロマンスというのもまたちょっと違う、友情とブロマンスの間ぐらいの塩梅だと思うんですけど。
練習とかでね、試行錯誤して、互いの表現に口を挟んだり、自分たちの内側を見つめて、このコンサートを作ってきたわけじゃない?それはただ無為に生きている時間ではなくて、非常に濃密で熱い時間だ。改めて互いに向かい合うという意図を持った時間である。それもファンの前に出すと決めたから、逃げ出すわけにもいかない。彼らはファンに誠実なので、照れくさくても逃げられない。
聖川があれを出すと決めて、神宮寺が受け入れた瞬間から、二人は意識的に自分たちと向き合っているはずなのだ。単純に相手を見ているし、相手が映してきた自分を見ている。
今までがむしゃらに走ってきたとすれば尚更に、立ち止まって振り返って見つめたその時間で、これまで歩んできた当たり前な自分たちの関係を、相手によって変わってきた自分を、お互いに見つめなおしたことで盛り上がってしまう情緒があるわけ。
パフォーマンスとして表に引き出すために、意図的に盛り上げてきたものと、そこに引きずられて露出してしまったものが絶対にある。
そうやって熟成したそれぞれの感情の残滓をうまいこと使っちゃおっていう演出だと私は思う。
肉料理を出すために用意された最高のソース。肉汁まで絡まった状態でさらに残ったそれを残さず掬い取るバゲッドがこの曲!
「太陽と海みたいなペア」なんて当て書き、露骨すぎて、ミュージカルなのよ。芝居。これはそういう演目の芝居!
太陽と海ってなに?その表現。海に沈んで、海から昇るの?太陽を飲み込むとき青い海は色を変えるけど、飲み込んだ後静かなくらい青に戻るってか?重なった時には色を映す癖に、その姿が離れているときや隠れているときはそれぞれの色でいるんでしょ。海に沈むときの太陽は変わらないようでその色を異にしてるじゃないのよ。昼と夜でもなくて、太陽と海ってところに詩的なこだわりを感じてしまう。オレンジと青で連想したとしても絶妙すぎるチョイスなのだ。なに?もともとの二人をシンメとして設定するときにはすでに決めていた言葉?全然違うのに同じくらい広大で、全然つながらないのに溶けてしまうみたいな距離感何なんだよ。
そのうえで、「心は重なって」で手を取らない。
これ。これよ。
これさ~七海女史が始めに用意してた振りでは「手を握る」んじゃないかなって思うわけ。これを2人が「ここで手を握らない」のが自分たちっていう解釈を2人揃って出したんじゃないかと思うんですね、私は。
これはさ、仲良くないとか、手を握るなんてとかじゃなくて、ここで「心は重なっ」た瞬間に、あえて手を重ねたりしないというニュアンスを互いに、互いの関係性の中で共有しているという話をしたいんだ。
『仲良しこよしじゃない』2人として、ここで手を取らないほうが2人らしいんだという強火の解釈をこの2人がしてきたんじゃないかなあ……とおもうんですよね。
その癖、しょうがないなみたいな顔をしてくるレン君の芸が細かい。そういう所だぞ。
その後のマイク絡みパフォーマンスは普通にストレートにこんなの来たら情緒が触れる。シンメ担っていうのはそういう生き物なので、簡単に変な濁点音を出す。イマジナリー御曹司担はソロパートでは「アレがすべてだ」っていって頭を抱える癖に、このマイクパフォーマンスに関しては「あれ!おまえ!あれ!!え?あれ???!!!幻覚!???」と何もかもを疑い出す。視界を疑っても現実にお出しされてしまったからには受け入れるほかないのだが、受け入れている場合ではない。ソロの時にエイヒレをしゃぶっていた居酒屋ではあれさ~~だけが無限にこだまする。「あれさ~」「あれな~!」「あれ~~~!!!!」しか言えていない。
私の中の御曹司のオタク、語彙無いな~~。まあ、語彙は溶けるからな、これは。わかるよ。エイヒレ美味い。
私からも特にいうことは無い。こういうの無限にみたいので、御曹司はスワンソングを歌ってくれ。頼む。という位しかない。
スワンソングを歌ってくれ。
いや、実際、このダンス自体は結構難しくて面倒くさいと思うんだよな。
マイク当たっちゃうとガンってなっちゃうし、収音しているなら布に擦れたりしても駄目だ。逆にタイミング間違えるとマイクに声がうまく入らないし、二人で歌いながら動くトロッコ上でやると安定感も悪い。やっぱ練習の時は結構ぶつかったりしたんだろうなあと思う。
ここのところ、単純に感情が盛り上がった状態で、勢いとかでやっちゃうと、おそらくマジでぶつかっちゃうから、相当リハも時間使ったんじゃないかなあ。まあそうなったらそれはそれで味なんですけど。ただ、さすがにね、ここでガンとかやっちゃうのは、格好悪いので互いのプライドという意味でも絶対に成功させるという一体感も持てたんじゃないだろうか。え?それもあの七海女史の狙いですか?畏怖~~~!!!
個人的には、本番はその辺について、興奮で上がったボルテージでいつもより冷静に歌えていてもいいなと思う。こう、心は熱く、頭は冷静にというやつだ。私はコンサートハイでいつもより視界が広がる現象の話が大好きなオタクなので。
とはいえ、この瞬間二人の視界が広がったとしても、見えているのはきっと相手のことだ。ここでこいつがここに動いてくる、ここでこう動く、っていうのが今までにないくらいに鮮明に、全部見えてしまう。そういうハイがそこにあったのではないかと思っている。
特に最後の腕を交差させて歌う踏み込みの辺りなんかは、あの瞬間、お互いにリハの時より半歩くらい踏み込んで歌って、それでも合う目算で腕を交差できてしまったみたいな二人にしかわからない奇跡が起きていてほしい。
互いに互いの心に対して半歩踏み込んでしまう逸りと、相手がそうするという判断をあの瞬間に完全に理解して、そのうえでがっちり視線を合わせてアイコンタクトを取っていたと考えて、まじで熱かった。
実際、あの向き合って歌う所、結構近くて結構動いているけど、二人がその間、じっと見つめ合っていたという感じはない。むしろ互いに向かい合っているだけで、本当に見つめ合っているのはあのはっきりと視線も腕も交差させているあの瞬間だけだったりせんかな~みたいなことを思ってしまっている。
そういう所が最高すぎるんだよな。
私は二人の距離感が、この絶妙に相手に触れないところめっちゃ好きだなと思う。
実際神宮寺レンにしても、聖川真斗にしても、どちらも人には普通に触れるタイプだと思うんだよな。特に聖川については、他のメンバー開いてだったら力強く手を握ってしまうタイプだ。でも、神宮寺にだけは握らない。そういう特別がある感じ、なんなんだろうな。
それを互いに「特別」だと思っている感じが、まずそういうことなのだ。

というか、まじで二人の関係性だけで異常な長さになってしまった。
なんか普通にこの歌を歌っている最中にTikTokに投稿しているとしか思えないクラセシとかなぜか窓に落書きをして「行きますよ」って言われているシンメの姿が見られていて、それぞれの担当が撃沈しているので、本当にシンメって概念は最高だよな……!

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