なかにし礼さん逝去

作詞家で作家のなかにし礼さんが亡くなられた
2020年12月23日(水)永眠
享年82歳

報道では
細川たかしさんの「北酒場」
北原ミレイさんの「石狩晩歌」
と紹介されている

その他にも数多くの名曲を世に送っている
黛ジュンさんの「天使の誘惑」
細川たかしさんの「心のこり」
菅原洋一さんの「知りたくないの」
「今日でお別れ」
や数多くの昭和歌謡と平成歌謡も手掛けられている

どれがなかにし先生の代表曲なのか?分からないくらい耳に焼き付く
名曲を世に送り出している

なかにし先生が学生の頃
シャンソン界のlegend深緑夏代先生にシャンソンの訳詞を依頼されたという話は有名な話である。

なかにし礼先生はシャンソンに
ゆかりのある方で
シャンソン歌手の登竜門
「銀巴里」を語る上でも大変貴重な
生き証人でもあられた
銀巴里を語る報道特集では
必ず なかにし礼先生は証言する人としてVTR出演はされていましたね。
美輪明宏さん戸川昌子さんも

なかにし先生は銀巴里で
若い頃の美輪明宏さん
(当時は丸山明宏さん)を見ている
勿論 戸川昌子先生も
なかにし先生はTVで美輪明宏先生の事を「ミラーボルの様だ」
と語っておられたのを覚えています。
その他にも
なかにし先生は美輪明宏先生も尊敬されていた事も伺える

私も戸川昌子先生が唄われていた頃
良く足を運ばさせて頂いた
戸川昌子先生のお店「青い部屋」で
「青い部屋」の小冊子だっただろうか?なかにし先生が訪れ
戸川昌子先生とのツーショット写真が掲載されているのを見た事があります。 なかにし先生は戸川先生とも親交を深められていたのですね。

その時でももう
私なんかが云うまでもなく
大作詞家で大生生クラスで
「長崎ぶらぶら節」で作家としても
知られていたと思う。

なかにし先生はシャンソンの訳詞から始まり石原裕次郎さんに作詞家を勧められ大作詞家と作家に転向されても
何時もシャンソンを愛していた方だったのだと思われます。
それが証拠に
戸川昌子先生のライヴハウスに顔を出されている
なかにし礼先生の対談本に
日本シャンソン界の草分け
石井好子先生とも対談をされている

何時迄もシャンソンを大切に思われていたのだとお見受けします。

生意気ですがそう私は感じました。




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