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白い月に歌は響く 第四章③

 センターに到着すると小泉があの柔和な笑顔で温かく出迎えてくれた。

「あらあら。まだ、わたしにお手伝いできることが?」

 昨日と同じようにティーカップをテーブルに置きながら彼女は言った。警察関係者をここまで歓迎してくれる人も珍しい。こうした対応に慣れていないのか、谷本は戸惑ったように黙り込む。その様子を物珍しげに見つめていると、視線に気づいたのか彼は咳払いをして「じつはですね」と口を開いた。

「ミライさんが失踪、といいますか、どこかへ出掛けたまま戻って来ないんです。それで、彼女が行きそうな場所に心当たりがないかと思いまして」

 その言葉に小泉は「まあ!」と口に手をあてて驚いた。

「ミライが? 一体どうして」
「わかりません。本当に突然出て行ったみたいで。場所じゃなくても、誰か頼りにする人がいるとか、なんでも情報があれば」

 しかし、小泉は困った表情を浮かべた。

「そう言われましても。どうしましょう……」

 彼女は迷うような素振りを見せると、言いにくそうに「じつはね」と小さく息を吐いた。

「先ほど別の刑事さんがボードにアクセスしてこられたんですよ」

 アリサと谷本は思わず顔を見合わせる。小泉は続けた。

「それで、お二人のことについて聞かれたんです。ここに何をしに来たのか調べているようでした」
「なんと答えたんですか?」

 谷本の声は硬い。

「嘘を言うわけにもいきませんから、昔ここにいた子について聞きに来られただけです、と」
「じゃあ、ミライについても話を?」
「ええ。要点だけを聞かれたので、簡単にお話しました。それで――」

 小泉は申し訳なさそうな表情を浮かべてアリサと谷本の顔を交互に見る。

「それで?」
「その刑事さんに言われたんですよ。もしまたお二人が尋ねてきても何も言わないでください、と」
「その刑事の名前って覚えてますか?」

 アリサが尋ねると小泉は「新田という方でした」と答えた。

「新田か。あいつが俺たちの監視役ってわけか」

 谷本がため息混じりに言う。アリサはボードを開いて凶悪犯罪課の専用ページを確認する。ほかの刑事たちにはすでに別事件の捜査指示が出されていたが、その中に新田の名はなかった。

「新田さん、課長のお気に入りですからね」
「バカみたいに言うこときくからだろ。ったく……」
「あの――?」

 戸惑ったような小泉の声にアリサたちは会話をやめた。

「お二人も刑事さん、なんですよね?」
「ええ、そうなんですが。ちょっと色々ありまして……」

 言葉を濁した谷本を見て小泉は何か察したのか、そうですかと頷く。そして考えるように頬に手をあてた。

「私も一般市民ですから、警察に逆らうような真似はできません」

 アリサは頷く。彼女は施設の責任者でもあるのだ。警察に睨まれては施設運営にも支障がでるかもしれない。だが彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべると「少し待っててくださいな」と部屋から出て行ってしまった。

「しかし、なんでわかったんだろうな。俺たちがここに来たの」

 出された紅茶を飲みながら谷本は唸るように言った。アリサも紅茶のカップを手に取る。ほどよく温かく、よい香りだ。小泉の淹れてくれた紅茶は自分で淹れたものよりも美味しい。淹れ方が違うのだろうか。今度教えてもらいたいものだ。そんなことを思いながら「ボードですよ」と答える。

「ボード?」
「さっき、わたしも使ったじゃないですか。GPS」

 すると谷本は納得したように頷いた。

「つまり、行動は筒抜けってことか」
「ええ。今わたしたちがここに来ていることも筒抜けでしょうね」
「そりゃ、まずくないか?」
「まずいですね」

 落ち着いて答えるアリサに谷本は舌打ちしてイラついた様子を見せた。何か言われるかと思ったが、彼は紅茶を一気に飲み干しただけだった。

「すみませんね、お待たせしてしまって」

 そう言いながら戻ってきた小泉の手には一枚のメモ用紙があった。彼女はそれをテーブルの上に置く。

「それは?」

 谷本が尋ねたが、小泉は答えず一口紅茶を飲んだ。そして「さきほどのことなんですけどね」と言う。

「私も、もう歳なのであまり昔のことは覚えてないんですよ。大事なことはメモに書いてたりしたんですが、そのメモすらどこにやったのかわからなくなってしまって。歳をとるって嫌ですねえ」

 突然のことにアリサは戸惑いを覚えつつ谷本に視線を向ける。しかし谷本はすぐに彼女の意図を察したらしく、にんまりと笑みを浮かべていた。

「では、俺たちに教えられる情報は何もないと?」
「ええ。申し訳ないんですけど、まったく思い出せなくて」
「そうですか。わかりました」

 谷本は言って立ち上がる。そしてテーブルに置かれた紙を何気ない仕草で取った。

「島本、帰るぞ」
「え、でも」
「いいから」

 なんだかよくわからないままアリサは小泉に頭を下げた。彼女は温かく微笑んだまま会釈を返す。

「では、失礼します。紅茶、ご馳走様でした」
「お力になれなくて、すみません」

 谷本は笑顔で頷くとセンターを後にした。


「いったいどういうことですか?」

 車の中でアリサは谷本に尋ねる。しかし彼は答えず、ボードを取り出した。

「なあ、このボードに盗聴機能ってのはついてないよな?」
「盗聴? そんなのついてませんよ」
「本当か?」
「警察用のボードにはついてるかもしれませんけど、個人ボードにはついてません」
「お前のも大丈夫だろうな」
「大丈夫です。これも個人用ですから。警察が盗聴を行う場合は特別な許可が必要だってことぐらい、谷本さんも知ってるじゃないですか。犯罪者でもないのに盗聴なんてありえませんよ」

 するとようやく納得したのか谷本は頷いて手に握っていた紙を開いた。

「あの人も、なかなか面白い人だな」
「どういうことだったんですか? わたしにはさっぱり」
「あの人は新田に口止めをされてたんだ。だから俺たちに情報を言うことはできない」

 アリサは頷いた。谷本は手に持った紙をアリサの顔の前で揺らしてみせる。

「だから、ここに情報を書いてくれたんだ。言えないから書いた。それを俺が勝手に持ち出した」

 谷本は笑う。

「でも、それって結局言ったも同じことなのでは」
「全然違うだろ。『勝手に』ってところが重要なんだよ。俺は、これを盗んだんだ」

 その言葉にアリサは呆れて谷本を見つめた。

「つまり、谷本さんは犯罪を犯したってことですね」
「……細かいことは気にすんな。とにかくこれなら小泉さんに迷惑かけることもないだろ。バレても俺が責任を問われるだけだ。ほれ。見ろよ、これ」

 アリサは深くため息をついてから谷本が広げた紙を覗き込む。そこには丁寧な字でこう書かれてあった。

『以前、ミライに一通だけメールが届きました。モニターをちらっと見ただけなので全文はわかりませんが【十年後に会う日まで】という部分だけは覚えております。その十年後というのが、ちょうど今年にあたるはずです。たいした情報ではなく、申し訳ありませんが』

 谷本は低く唸る。アリサもじっと紙を見つめていたが、やがて諦めたようにシートの背にもたれた。

「なんか、小泉さんには申し訳ないですが、何もわからないも同然じゃないですか?」
「そうでもない。きっと彼女には再会を約束した人がいるんだ。誰かはわからんが」
「そうだったとして、どうしろと? 名前も何もわからないのに」
「そりゃあ……」

 谷本は頭を掻いた。考えはないらしい。さらに文句を言ってやろうとしたとき、二人のボードが同時に鳴った。

「……呼び出しですね」
「二人同時ってことは、俺たちが何か捜査してるってバレたのかもな」

 谷本もボードを見ながら言った。

「もしそうだったら、全ての責任は谷本さんにあるとわたしは訴えますから」
「そんな俺を止められなかった監視役のお前も当然、責任とらされるだろうな」

 アリサは軽く谷本を睨んで、やがて諦めのため息をついた。

「再就職の件、本当にお願いしますよ?」
「ああ、任せとけ」

 笑いながら答えると、谷本は車を警察署へと走らせた。


 署はいつもよりも慌ただしい雰囲気に包まれていた。パトカーはほとんど出払っており、署内の人間も世話しなく動き回っている。

「なんでしょう。いったい」
「さあな。とりあえず部屋へ行くか」

 二人は数日ぶりに凶悪犯罪課のドアを開けた。

「ここも慌ただしいな。えらくみんな仕事熱心じゃねえか」

 感心したように谷本は言うと「おい! 谷本、島本!」と課長の声が飛んできた。かなり苛立った様子だ。

「課長、これはどうしたんですか? 何かあったんでしょうか?」

 森田のデスクの前に立ち、アリサは尋ねる。森田は眉をつり上げてこちらを睨んできた。

「お前らはニュースも見ていないのか」
「ニュース? なんの」

 谷本はわざと神経を逆なでするような口調で言う。

「警察幹部が殺された事件だ!」

 森田の怒鳴り声が響く。

「ああ、あれか。でもあれはうちの管轄じゃないですよね」
「今日、また一人殺されたんだ!」
「今日も? それは知りませんでした。それで警察全体に指令が」

 森田は頷いた。

「犯人の手掛かりはまるでないが、次の犯行がまた起こるかもしれん。さすがに警察幹部が二人も殺されたとなると上の連中も必死だ。早く犯人を挙げろとせっつかれてる。しかし人員が足りない。それで仕方がないからお前らを呼んだわけだ。お前らみたいなのでもいないよりはマシだろうからな」
「ま、なんでもいいですよ。で、資料は?」
「今井にもらえ。それと、谷本。お前、なにやら妙なことを調べているらしいが、これ以上警察権力を利用するなよ? これ以上おかしな真似してみろ。どうなるかわからんぞ」

 そう言い捨てると森田は部屋から出て行ってしまった。

「なんだか気に入りませんね。あの言い方」
「まあな。しかし、よかったじゃないか。まだクビがとばなくて」
「……そうですけど」
「ここは素直に捜査に参加したほうがいいな。で、今井ってのは誰だ?」

 谷本は部屋を見回した。アリサが教えるまでもなく、すぐに今井が誰かわかったようだ。彼女は誰もいなくなった部屋にポツンと座り、一人資料整理に追われていた。

「あ、島本さん。復帰されたんですね。おめでとうございます。いやー、島本さんがいないとだれも話を聞いてくれる人がいなくて参ってたんですよ。おまけにこの事件のせいで仕事が増えるわ、増えるわ。上の連中ときたら、人使いが荒すぎて。そういえば知ってます? 今回の事件は他のどの事件よりも優先させろって言ってきたんですよ。そんなだから警察は市民に嫌われるんですよね。身内の事件にばっかり力入れてるって。ねえ?」
「……え、ああ。そうですね」

 相変わらずの長話。どこで息を吸っているのだろうと不思議に思う。彼女のトークを初めて目の当たりにした谷本は苦笑しながらその話を聞いていた。

「よく喋るな。いまどき珍しい」
「あ、失礼しました。谷本さん。自分は――」
「ああ、いい。今井だろ? 課長から資料をもらえと言われたんだが」

 谷本は再び彼女が話し出そうとするのをさりげなく止めた。

「あ、そうですね。少々お待ち下さい」

 そう言うと彼女はボードを開いた。

「そういえば、谷本さんはボード使わないんでしたっけ?」
「いや、最近特訓してね。使えるようになった」
「へえ。あ、わかった。島本さんに教えてもらったんですね?」
「ああ、まあな。いいから早くよこせよ」

 だんだんと面倒になってきたのか、谷本は強めの口調で言った。

「あ、すみません。すぐに送ります」

 今井は慌ててメールを送信する。

「じゃあ、もう行きますね」

 これ以上ここにいたら、またあのトークに巻き込まれることは確実だ。アリサたちはさっさと退散することにした。

「もう行かれるんですか……。いってらっしゃい」

 寂しそうな表情で彼女は言った。お喋り好きの今井にとって、一人で留守番というのは苦痛なのだろう。かといって、アリサにはどうしようもないことだ。アリサと谷本は今井を残して部屋を出た。

「さてと」

 車に戻った谷本は、なぜか上機嫌でボードを開いた。

「なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「そうか?」
「そうですよ」
「別になんでもねえよ。それより資料を見ろ」

 谷本に言われ、アリサもボードを開いた。送られてきたデータには殺された幹部の名前と写真、遺体が発見された状況などが書かれてあった。

「なんでこんな場所で発見されたんでしょう?」

 一人目の幹部は何年も前に使われなくなった廃工場、二人目はもう誰も住んでいない旧住宅街で発見されている。

「殺されてから捨てられたとか」
「でも血痕の状態から、発見場所が犯行現場と推定されるって書いてありますよ」
「死因は銃殺か。しかも額に一発」
「正面からってことは、顔見知りの犯行ってことですかね」
「とすると、警察内部に犯人がいる可能性が高いってわけだ」
「それは警察的にまずいのでは?」
「まずいだろうな。で、俺たちへの指示は?」

 言われてアリサは自分たちに向けられた指示を確認する。しかし他の捜査員への指示は表示されているのにアリサたちのところには何も表示されていなかった。

「……特にないですね」
「なんだそりゃ?」
「忘れてるんじゃないですか? 課長も忙しそうでしたし」
「あいつが俺たちを呼び戻したんだぞ。それなのに指示を出し忘れるか?」

 谷本はそう言うとふと思いついたように笑みを浮かべた。

「いや、違うな」

 アリサは首を傾げる。

「何も指示がないってことが指示なんだ」
「……何言ってるんですか」
「だから、指示がないってことは好きにしろってことだろうが」

 谷本が自信に満ちた表情でアリサを見る。そんな彼を、アリサは呆れながら見返した。

「どうやったらそういう解釈ができるんですか」
「じゃあ、お前はここに残るか。捜査に参加しろと言われておきながら指示がないからとデスクに座って今井の話につきあってやるんだな?」

 アリサは谷本を睨むようにして見つめてから小さくため息をついた。

「……谷本さんって、性格悪いですよね」

 すると谷本はニヤリと笑いながら「いまごろ気づくなよ」と意地悪そうに言ってくる。アリサは、なぜ自分がこんな人と組んでいるのかあらためて疑問に思いながらボードを閉じた。谷本は嬉しそうに車のエンジンをかけるとアクセルを踏み込む。

「で、どこ行くんですか」

 谷本の車の揺れに慣れてきた自分に気付きながらアリサは尋ねた。

「まあ、まずは現場にな」
「現場に? ミライの方はどうするんですか」
「もちろんやるさ。一応現場に顔見せとけば、ちゃんと仕事してるって思われるだろ?」

 確かにまだ遺体が発見されてから日が経っていないため、現場には鑑識や他の警官たちもいるだろう。印象を与えるには十分だ。しかし――。

「谷本さん。この事件、捜査する気がないですね?」

 すると谷本は当然とでも言うように頷いた。

「わざわざ俺みたいな厄介者が捜査に参加しなくても、優秀な若手刑事が何人も捜査してんだからいいだろ」
「それ、警察官としてどうなんですか?」
「警察官だからこそ、最初に依頼された件を最優先させるべきじゃないか?」
「……屁理屈ですね」
「おまえは潔癖過ぎるんだ。少しは俺を見習え」

 アリサは黙ったまま横目で谷本を見た。一体、彼のどこを見習えばいいのだろう。そんな要素どこにもないではないか。

わずかに首を振るアリサを谷本は気にしない様子で運転を続けていた。

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