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白い月に歌は響く 第四章④

 谷本の車が向かったのは、最初に殺された幹部の遺体発見場所である廃工場だった。今は警察関係者とマスコミで賑わっているが、普段は決して誰も近づかない場所だ。

「あれ、この場所……」

 一歩工場に足を踏み入れた途端、谷本は不思議そうに顎を撫でた。

「どうしたんですか?」
「いや、昔、ここに来たことがあるような……」

 そのとき、現場調査中の若い刑事が一人、こちらに気づいて近付いてきた。

「お二人とも、なぜここに?」

 そう言ったのは新しくアリサたちの監視役になったはずの新田だった。

「しらじらしいな、お前。俺たちの行動を監視してるくせによ」

 悪態をつく谷本に新田は肩を竦める。

「何を仰っているのかわかりませんが。僕はただ、指示に従っているだけですから」
「へえ、そうかい。俺たちも今はちゃんと指示に従ってここに来てるんだ。邪魔しないでもらいたいね」

 その言葉に新田は怪訝そうにアリサへ視線を向けた。

「指示とは?」
「それが――」
「好きに捜査しろってよ」

 アリサの言葉を遮って谷本は言った。新田は眉を寄せて説明を求めるようにこちらを見てくる。

「あの、課長に呼び出されて捜査に参加しろと言われたのですが、どういうわけかボードには指示がなく……」

 新田の目が鋭く細められる。

「それはつまり、何もするなということでは?」
「なに言ってんだ。課長は俺たちに捜査に参加しろって言ったんだぞ。だけど具体的な指示がない。それはつまり好きに捜査しろってことだろうが」
「課長に指示の確認をした方がいいと思いますよ」

 新田は谷本を無視してアリサに言った。アリサは慌てて「あ、そうですよね」とボードを取り出す。

「確認のメールならさっき俺が送ったぞ」

 アリサがメールを送ろうとしていると、のんびりした口調で谷本は言った。

「だが、まだ返事がないんだ。だからちゃんとした指示が来るまで適当にさせてもらう。大丈夫だ。邪魔はしねえから」

 谷本は新田の肩をぽんと叩いた。すると新田は不愉快そうに表情を歪めた。

「じゃあ、そういうことで」

 そんな彼の反応に気づかないのか、あえて無視しているのか、谷本は新田を押しのけて工場内を見始める。

「妙な真似はしない方が身の為ですよ」

 脅しともとれる言葉を谷本に投げ、新田はその鋭い視線をアリサへ移した。

「あ、あの、すみません。失礼します」

 慌てて一礼してアリサは谷本の後を追った。

「谷本さん、いつの間に確認メールなんて送ってたんですか?」

 小声で聞くと谷本は振り向きもせず「ああ、まあな」と曖昧な返事をする。

「……送ってませんね?」
「そんなことより、思い出したぞ」

 谷本は工場全体を一通り見回したあと、納得したように小さく頷いた。もはや彼に課長の指示を仰ぐという意志はないようだ。今さら課長から指示が送られてきたとしても、それに従うことはないだろう。それならばいっそこのまま、指示がないからという理由で好きに捜査していたほうがいいのかもしれない。そうすれば、指示違反にはならないだろうから。

 アリサは無理やり自分をそう納得させた。

「この場所。確か十二、三年前に来たことがある」
「そんな昔に?」
「ああ。たぶん、事件でな」
「……たぶんって」
「ああ。たぶん、だ。十二、三年前。まだこの工場が稼動していた頃、ここで大量の血痕が発見されたんだ。だけど死体は見つからなかった。だからたぶん、事件だ。それも、まだ未解決のまま」
「偶然ですか?」
「さあな。……行くぞ」

 突然、何か思い立ったように谷本は歩き出した。

「え、今来たばかりなのに? ちょっ、谷本さん!」
 しかし谷本は止まらない。不機嫌そうに睨んでいる新田の前を横切って、彼は工場を出て行ってしまった。


「谷本さん、なんなんですか? 一体」

 置いていかれないように車へ乗り込みながらアリサは聞く。

「とにかく次の現場に行くぞ。話はそれからだ」

 わけがわからないが聞いても答えてくれそうにない。アリサは仕方なく、静かに助手席におさまった。

 やがて谷本が運転する車は旧住宅街に到着した。二人目の幹部が殺された現場だ。やはりここも今は警察やマスコミで騒がしいが、普段はゴーストタウンのように人の姿はない。もうすぐすべての家屋の取り壊しが始まると聞いている。なぜ被害者は、こんな人気のない場所へ来たのだろう。

 考えるアリサを尻目に谷本は一人でさっさと進んでいく。遺体の発見場所は、密集した住宅のあいだにポツンと拓けた空き地だった。雑草がまだらに生えた地面には赤黒い染みが見える。

「よう、ご苦労さん」

 制服警官に軽く挨拶をしながら、谷本は廃工場の時と同じように勝手に現場を見始めた。アリサは空き地の入り口に立って手持ち無沙汰にその様子を眺める。

 現場を見て回る谷本に声をかける捜査員は誰もいない。彼らは、まるで谷本がその場にいないかのように黙々と作業を続けていた。無視しているわけではない。きっと彼らは、自分たち以外に興味がないだけなのだろう。ただ与えられた仕事をこなしているだけ。つい数日前まで自分も同じだったはずだ。しかし、なぜかその姿はひどく滑稽に見えた。

「おい、島本!」

 ふいに名を呼ばれ、アリサは我に返る。一通り、現場を見終わったのだろう。谷本はこちらに戻ってきていた。

「なんですか」
「この場所の住所ってわかるか?」
「住所……。この空き地のですか」
「ああ。わかるか?」
「ええ、多分」

 アリサはボードを開いた。位置探索機能から現在地の住所を割り出す。

「出ました」

 モニターを谷本に見せると、彼はスーツの内ポケットから薄汚れた手帳を取り出して住所と照らし合わせる。

「やっぱりか……」

 あるページで手を止めた谷本は満足そうに頷いて振り返った。

「妙なことがわかったぞ」

 言って彼はにんまりと笑う。

「この空き地とあの廃工場、それからあの実験プロジェクトが繋がった」
「実験プロジェクトって、あの人体実験?」
「そう。まずは廃工場。あそこはあの実験に使われる薬品を研究開発するための政府の所有物だったんだ。そしてこの空き地。元々は学校が建っていた場所だ」
「学校ですか」
「そう。これは俺のカンなんだが、実験で産まれた子供を教育するための施設だったはずだ」
「なぜそう思うんですか?」
「この学校の所有者がな、プロジェクトに関わる国の代表者共同名義になっていたからだ」
「……なんでそんなこと知ってるんですか」

 不審な目でアリサは谷本を見つめた。彼はきょとんとした表情をこちらに向ける。

「どっちの話だ?」
「両方です」

 すると彼は昔を思い出すようにわずかに目を細めた。

「廃工場の方は血痕が発見された時に調べたんだよ。捜査はされなかったが、もしかしたら本当に殺人が起こったかもしれないと思ってな。そのとき工場で研究されていた薬品データを手に入れたんだが、さっぱりわからなかった。どこをどう探しても、その薬品についての資料がなかったんだ。だが数日前にあの実験のデータを手に入れたとき、そこに書かれた薬品名に同じ名前を見つけた。国のデータベースに登録されていない薬品だ。そう同じものが無関係の施設で研究されていたとは思えない」

 谷本は顎を撫でながら空き地に視線を戻した。

「それから学校。実は実験施設が爆発したのとほぼ同時期に火事で全焼してるんだ。その時の記録がこの手帳にある。所有者が珍しかったんで記憶にも残ってた。普通、国の代表が所有者になってる学校施設なんてないからな」
「学校の方はこじつけっぽい気もしますが……。それで、二つの場所と殺された幹部との繋がりは?」

 しかし谷本は眉を寄せて首を傾げた。どうやら谷本にもそこまではわからないらしい。

「この二つの殺人がそのプロジェクトに繋がっているんだとしたら、あのジャーナリスト殺しとも繋がりが?」
「ああ、かもしれんな。無関係にしてはタイミングが良すぎるだろう」

  ――また面倒なことになってきた。

 アリサは深くため息をついた。それと同時にボードがメールの着信を知らせる。

「まさか課長からか? ようやく指示が送られてきたか」
「いえ。音楽サイトからの情報メールです」
「音楽サイト?」
「ええ。ミライの歌が事件に関係しているかもしれないと知ったときに、一応登録しておいたんです」
「へえ。で? 何が書いてある」

 谷本は横からボードを覗き込んできた。

「新曲が配信されるらしいですね」
「新曲だと? 本人が行方不明なのに?」
「しかも二曲同時って書いてあります」
「はあ? どうなってんだ。その曲、聞けないのか」
「えーと、ちょっと待ってください」

 アリサは素早くサイト内を調べる。

「……配信前なので、さすがに無理ですね。試聴もないようです」
「そうか。だが、配信の準備が出来てるってことはあのマネージャー野郎が関係してるってことだよな」

 谷本は立ち上がり、車へ向かった。

「次から次へと……。忙しいですね」
「当然だ。刑事は駆けずり回ってなんぼの職業だぞ」
「古い考えですね」

 アリサの言葉に谷本は笑った。


「刑事さん? どうしたんですか、連絡もなく」

 事務所につくと、黒沢が慌てた様子で現れた。

「どうしたはこっちが聞きたいんだが?」

 困惑した表情で、黒沢は問うようにアリサに視線を向ける。

「さきほど、音楽サイトからメールが届きました。ミライの新曲が配信されるそうですが、彼女は見つかったということですか? なぜ、わたしたちに何も連絡をくれないんですか」

 すると黒沢は「そのことですか」とため息をつくと顔をしかめた。

「僕も困ってるんですよ。こっちでは何もしてないのに、いつの間にかそういうことになってる。しかも二曲同時ですよ? 僕ならそんなもったいないことはしない。もっと戦略を練って、売れるように宣伝プロモーションもしっかり組みますよ。あれじゃ、ミライの貴重な歌が叩き売りされてるみたいだ。さっきから事務所に問い合わせのメールがすごくて対処に追われてるところです。ほら」

 黒沢は事務所内を振り返った。見ると、たしかにスタッフたちは慌てた様子で作業に追われているようだ。

「お前がやったわけじゃないのか?」
「だから、違いますって!」
「では、いったい誰が」

 アリサが聞くと黒沢はやけくそ気味に「さあ、ミライ自身ですかね」と答えた。

「彼女が? 個人が勝手に曲の配信契約を結べるのか」
「普通はできません。けど今日の早朝、僕のボードに不正アクセスされた形跡が残ってました」
「つまり、あなたの情報が盗まれた?」

 黒沢は肯定するように肩をすくめた。

「わからんことだらけだな。それで、その新曲は聞けるのか?」
「いえ。データを開くにはパスワードが必要なんです。それはいつも僕が決めていた。でも今回は違うので」

 どうやらお手上げ状態らしい。谷本はため息をついた。

「配信日を待つしかないってわけか」
「でも配信日は明後日になってますから、そんなに待たなくて済みますよ」
「明後日か。早いな。……また、殺人が起きたりしてな」

 その言葉に黒沢は谷本を睨んだが、すぐに無言で俯いていた。

 黒沢と別れて外に出ると、すでに日が暮れかかっていた。時刻を確認すると、いつのまにか五時を回っている。ボードの設定が初期化されてしまったため、アラームも鳴らなかったようだ。帰ってから設定しなおさなければならない。

「もう五時を過ぎています。今日はここまでですね」

 すると谷本は目を丸くして振り向いた。

「この状況でも定時に帰るのか?」
「当然です。残業はしません。では、お疲れ様でした」

 軽く一礼してアリサは歩き出す。ここからなら寮の近くまでバスで帰ることができる。何か言いたそうな谷本を残し、アリサはバス停を探して歩き出した。

 寮に戻ったアリサは、さっそく初期化されたデータの修復にかかった。幸い昨日までのデータはバックアップをとってある。アリサはボードのバックアップデータにアクセスし、修復を開始した。あとはウイルス対策用のプログラムとハッキング対策その他、細かい設定をしていかなければならない。アラーム設定も忘れずにしなければ。

「……ほんとに、いい迷惑」

 深いため息が、静かな部屋に響いた。

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