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先に出来ること

人は誰でも行き過ぎている所がある。

それを
見逃しすぎたり批判しすぎたり

「行き過ぎている」を「過剰で返す」と
「関係は悪化にしかならない」
「何も気づかない変わらない」

行動と態度と誠実さ
それをやり続ける見せ続ける


人を責める前に
その人の原因を突き止めることが
改めて何よりも大事なんだと
思いました。


私は人に対して何処か上の空だから
犬のような人とは分かり合えない壁を
日々、感じます、、



昨夜の来夢さんの行動をみて
私の学びになりました。

「来夢さんはいつでも億劫を捨てれる」
「その性格はチャンスを見逃さない」


家の人が塞ぎ込んでいる時は
必ず、一緒に散歩をしようと誘う。

そして
思春期の少年に戻ったようになり
夜遊びを一緒に楽しむ。

家の人は童心に帰ったように
楽しそうな爽やかは笑顔になる。
心から優しい人になる。

人は寄り添って欲しいときのタイミングが
あるんですね、、

       来夢さんはそれを直ぐに見抜ける


あの人があなたに人として惚れる気持ち
わかった気がする、、

子供は親に遊んでほしがる
それは
親との信頼感を築きたいから
他人に対して寛容になれる基礎づくり。

愛着障害は
ただ、それだけの「穴」を
埋めたいだけの「行き過ぎ」
なのかも知れない。


世間には
セクハラ、モラハラ、パワハラ、、
様々な種類のハラスメントがある。
そして、争いが耐えない社会。


「行き過ぎ」は大人になればなるほど
「手に負えなくなる」


真実は何重にも隠されて
闇の中へと葬られて行く


その争いは
愛着障害の人達同士の争いのように
みえる、、


ドラマ「女王の教室」をあの人と
久しぶりにまた観ることになり

再度、あのドラマを観て

「手に負えなくなる人達」の意味が
以前より、新たにわかったような感覚を
覚えました、、


あのドラマの完成度に再度圧倒されました


ドラマを観ている私達も
「行き過ぎている人達の一人」です。


これはセーフ
これは行過ぎ


その判別より
先に出来ること


それに気づき行動に移し続けることが


人が変わる鍵(チャンス)なのかもしれない



自分にも人にも寛容で接し続けることは
心から邪念を追い払い続けること

些細な邪な考えに気づくこと

そう思いました。


来夢さん
今日も気づき
ありがとう。




るい







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