「帳簿の歴史」を読んで感じた事

1.  昨日、ジェイコブ・ソール著「帳簿の歴史」を読んだ。古代での帳簿の誕生からリーマンンッショック時のアメリカまで、世界史の中で担ってきた帳簿の役割を描いたもの。

メディチ家のフレンツェ、ルイ14世・コルベール時代のフランス、産業革命時の英国、そしてアメリカなど帳簿による会計を文化に取り入れた国家なり都市は繁栄する。

しかし、帳簿、特に複式簿記はその正確性ゆえに、好きにやりたい王家・貴族・キリスト教指導層いった既得権益者に嫌われる。ゆえに帳簿文化が根付いても程なく廃止されるか骨抜きにされ、やがて財政難に陥り、国は滅びる(そういえば日本の会計が複式簿記じゃないのはどうしてなんだろう?)。

これを会社のフェーズで考えるとこの場合、会社が滅びるというのは債務超過に陥るということ。

債務超過とは貸借対照表上の右上の負債の部が左側の資産の部を上回り、右下の純資産の部がマイナスになる状態を指す。

つまり、借金が多すぎて、手持ちの資産を売ってもなお借金が残る状態。(こういう場合は基本破産だけど、本業の調子がいい場合は民事再生で復活できるよねというのがこの前ブログで述べた内容。)

2.  この本を読んで改めて感じたのは、自由と規律のバランスこそが国の繁栄の基礎だがそれが如何に難しいかということ。

そしてこれは国や都市といった大きなものに限らず会社や人間のありかたにもつながるのではないかということ。

この社会や人の在り方に関して、多摩美術大学客員教授の中沢新一教授は著書「三位一体モデル」の中で、キリスト教社会に限らず人間社会のあらゆる場面は三位一体モデルでみるとだいたい説明がつくという。

すなわち教授曰く三位一体モデルとは教義や会計や法律といったルールや規律や公理に携わる「父」と貨幣のように増殖したり、芸術や発明的な概念といった創造性に関わる「聖霊」とそれらを具現化した「子」の3つは神であり、一体であるというキリスト教の三位一体の考えを人や組織の在り方に関しての分析ツールとしたのが三位一体モデルである旨おっしゃっている。

3.  その上で氏は今はリーマンショックに象徴されるように聖霊の部分が大きくなりすぎているのではないかとおっしゃっている。

人間社会のあらゆる状態がこの三位一体モデルで説明できるのは結局人という存在は自由と規律のバランスの上で成立していて、そのバランスが崩れるとき、いろんな過ちが生じてしまうということ。

人は安きに流れる傾向が強い。人は少し金が出来るとギャンブルしたりかわいいねーちゃん買ったり、高級店でおいしい料理を食べたり、いい服買ったりしたいし、まとまった収入源が手に入るといい家や車がほしい。そんな幸せ一杯の時にルールだの帳簿だのといわれるとこいつまじうぜーって思うのが人情。

こういった人の弱さを壮大なスケールで描いたのがこの「帳簿の歴史」という本である。

自分はまだそんな贅沢ができるほど会社を大きくしたわけではないし、今のところ会社の発展と経営者としての成長以外さして興味はない。でも人はだれでもちょっとしたきっかけや気の弛みで喪黒福造の手招きする滅びの道に進んでしまう。なのでこの本を自らの戒めとしたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?