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卑屈な笑いではなく、幸せの笑顔

児童書「きいろい ばけつ」をご存知ですか。

きつねの子と「きいろい ばけつ」の出会いを書いた物語です。


お友達のクマの子も、ウサギの子も、
自分のばけつを持っていて
ばけつを持っていない きつねの子は
すごくうらやましいと思っていたのでした。
そんなある日、きつねの子は偶然、
道で きいろいばけつを見つけます。

見つけた ばけつの事をお友達に相談すると、
1週間誰も取りに来なければ、
きつねくんのものにしたらいいよ、と。

それから毎日、きつねの子は ばけつのもとに通います。

うっとりと眺めたり、
横でうたたねをしたり、
持って歩いてみたり、
魚を釣って入れるマネをしてみたり。 
もう少しで自分のものになるかも、と、
木の枝で名前を書くマネもしました。
そうやって1日に何度も、きいろいばけつのところへやってきて、
一緒に楽しい時間を過ごしたのです。

そして、1週間経つ、その前日の夜。
雨風が吹いているので飛ばされないように、と
ばけつに水を入れて見守るきつねの子は、
急な強い風で ばけつが飛ばされる夢を見ます。

夜が明けて急いで ばけつのもとへ駆け寄るきつねの子。
するとそこにはもう、ばけつは無かったのでした。

お友達が慰めてくれますが、きつねの子はニッコリ笑って返す、
というお話です。


このお話を読んで、子どものころの私は
すごく悲しくて腹立たしい気持ちになったのを覚えています。

ばけつが無くなった悲しさ。
1週間待つという、やりきれない理不尽さ。
ばけつが無くなった後に笑って返したこと。

子ども心に、自分の意見なく、人の言いなりになって、
期待を裏切られたのに卑屈に笑ってごまかす 
きつねの子に心をかき乱されました。


しかし、大人になった今は、読んだ後、全く違う気持ちになりました。


きつねの子が最後に笑ったのは、卑屈になったからではなく、
その1週間が本当に充実して、幸せで素敵な時間だったから。


本当に素敵な出会いをして、
本当に自分にとって価値のある時間を過ごせたのなら、
ばけつを独占する必要なんてないんだと思いました。


たとえ、この後、別の ばけつを手に入れたとしても、
それはあの 大事な ばけつではありません。

かけがえのないものは、その時、そこにしか存在しません。


幸せだと思う時間は幸せすぎて、気が付くことが出来ないのかもしれません。

失って初めて、幸せだったと気が付くのかもしれません。

今しか感じることのできない、この幸せな出会いを感謝して過ごしたいと思います。


#あなたに出会えてよかった

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