成長について

このごろわたしの頭の中に常駐している"成長"について。


これまで

小学生になって、はじめの数ヶ月は6年生がわたしたちの面倒をみてくれた。わたしも6年生になったら、こんなふうに背が高くて落ち着いたお姉さんになるんだと思ってた。

4年生では放送委員になった。当時の委員長と副委員長の姿は今でもときどき思い出す。これ以来、委員会や部活に所属しなかったわたしにとって、先輩と呼べるのはこのふたりだった。

6年生になって、"生活委員"の委員長を務めることになった。あの先輩ふたりのようにはいかなかった。言葉に詰まって1、2分の沈黙をつくってしまったり、別の事情で学校を休むことが増え委員会にも顔を出さなくなった。背も高くないし、落ち着いたお姉さんにもなれなかった。

中学校の1年目は、ほぼ欠席することなく終えられた。2年生になって、小さな違和感が生じて、それがみるみる大きくなった。同級生が恐ろしくなった。その気持ちに比例して欠席日数が増えていった。そうして不登校になった中学3年生の夏に、自分は成長が遅れていることに気がついた。

コミュニケーションが苦手で、我慢ができない、気の弱いわたし。いままで自分がしてきた小さい選択の積み重ねがこのわたしをつくっている。同級生は違う選択をして成長している。

そう思ったわたしは、自分を責めることに全開のエネルギーを使った。そのぶんのエネルギーを自分の成長に使えばいいのに。

しかし、いまのわたしでも、そのエネルギーをすべて成長のほうに使っているかというとそうでもない。それでも少しずつ進められればいいと思ってる。だっていままではまったくの停滞だったんだから。

いま

高校に入学してから、それを常に感じるようになった。彼らはすぐに仲間を見つけ、空き時間に雑談をして、アルバイトや恋愛や流行がどうとか。その状況がすてきに見えたから、近づこうとした。でも途中で転んでしまってまたゼロから。

進路が決まらない。なにもわからない。はじめの二択すらわからない。成長してない。

幼いころの「おいしゃさんになりたい」のような考えのままこの歳になった。憧れの職業はいくつかあるけど、現実的じゃないし、実現させたいという熱量もない。

熱い気持ちをもって専門学校の進学を希望する同級生がいる。精一杯勉強して大学へ進学しようとしている同級生がいる。ビジネスマナーの参考書を読み込んでいる同級生がいる。わたしはずっと止まってる。

こんなのうのうとしたことは言っていられないのかもしれないけど、わたしは強い意志と熱量と意味をもった選択をしたい。

この春のうちに、選択肢の枝を最大限までのばしていく作業をしなければならないのでその宣言としてこの文章を残しておこうと思う。

これから

どんな道のりをたどるのかわからないけど、数年後もしくは数十年後には熱くて、おだやかで、豊かな人になっていたい。

中3の夏にこの場所に来てから、自分の状況を少しずつ綴ってきた。緩急があったり尖っていたり丸かったりするわたしの文章もといわたし自身を見守ってくれるひとがここにいることは、無意識下でもわたしの支えになっています。ありがとうございます。

さいきん趣味が充実していて前向きになっている しらどそらでした。