無題 2022.1.6

私に紡がれた文字達は可哀想。
私なんかに。


「私なんて」
よく聞くこのフレーズがあるが、これを本心から言っている人間はいるのか?

これを使っている人間はきっと、
知らない感情に名前をつけたいのにそれらしい名前を見つけられず
言葉として表されているのを聞いてやっとその言葉を使うようになったのだろう。

正体がわかるのはいいことだ。
私自身もつい先日、モヤモヤとして脳みその七・五割を埋め尽くしていた感情の正体(名前)を突き止められた。

”劣等感”

決して難しい漢字ではないはずだが、今まで見つけられなかった。
現に今までのnoteでもこの言葉は出てこなかったはずだ。

なにかと漢字になおして格好良くしたがる年齢で、
”〜感”といった三字熟語を調べるのが好きだった気がするが。

とりあえず、スッキリするのはいいことだ。

わかったところで何が変わる、と言いたいが
理由なんか無くたっていい。

劣等感をどうにかしたい
とか、
自分に自信を持ちたい
という思いはまるでない。

が、ダイエットもどきはやっている。
今日、ある数字を切った。
嬉しくはない。

もっと軽くなければいけないのだ。
この低い身長で、今の体重はあり得ない。

運動をすればいいのだろうが、
臆病者なので全くやっていない。

無駄なものを食べないだけで、人間は軽くなれる。
これだけは学んだ。

どれだけ理想の体重に近づいても、自信がつく日はこないだろう。
そうなると、自信がつかない理由は容姿ではないということだろうか。

劣っている部分がありすぎて、
どこが自信を吸い取っていく核なのかがわからない。

だが、ここで文章を書いているということは
自分の書いたものを誰かに読んでほしいという思いが多少なりともあるのだろう。
ということは、ほんの小さなナルシシズムが私にも存在している。


全ての仮面を剥いで書きたい。
これ以上の素を書きたい。

一人称は”私”なんかの綺麗なものではないし、
こんなにスマートな文章でもない。

一人称の話で一つ思い出した。
……面白みのないものではあるが、記事を別にしよう。
もう14個の内容が思いついているのに、書き上がったものは一つもない。
まずは今年の抱負を書きたいが、モチベーションがやってこない。


前回の無題があまりにも受け入れられてしまったので、
多分……味をしめた。

読まれることは期待していない。

ただ、ずっと仮面をかぶっているのは苦しいので
たまにこうして酸素を吸いに来ようと思った。

このせいで嫌われてしまっても仕方がない。

数字が小さくなっていくのを見ているのは確かに辛いが、
それ以上に好きなことを話せなくなる方が辛いはずだ。

”日記として書く”と言っているくせに、
嘘の自分でいてどうする。

友達が減るのは現実だけに留めておきたいが
まあ、別にいいかな。

人の動きはどこでも見られるし。
誰にも関わらない方が空を飛べるし。

どうせ一人にはなれないし、なりたくないだろうから。