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#3 仏道
後日…と言っておきながら早々に話す気分になったカラ置いておくネ!
ワタシの祖父母(人間)は仏教徒で、よくオ話を聞いてたからワタシもかなり仏教徒(?)なんだケド、基本的にワタシの「他人への考え」はココから形成されているヨ
ワタシは病状的に人を疑わずには居られないのダケド、ソレでもなんとか今こうして身を置けているのは仏の教えや祖父母の教えのおかげな訳
ワタシが今頭に浮かんだものを述べるネ
人というものは何かに縋らずには生きていけないヨネ?お金だったり、はたまた他人だったり
でもその縋る先というものは案外すぐに壊れてしまったりするネ
人は宙ぶらりんでは生きていけない。支えるもの無しでは生きていけない。欲がない人間など居ない。自己嫌悪が全くない人間など居ない。壊れてしまう
ワタシは昔から人を助けるのがスキだった
独善的なモノだから、支えるではなく「助ける」
助ける行動はワタシにとってそれは1つの支えであって、この世に存在していいパスポートのようなものだと思っている
でも人は離れていくヨネ?ワタシは人間に依存するのはお金よりハイリスクだと思っているヨ
相手はいつの間にかワタシを忘れてどこかで生きている
仏様はすぐそこにいらっしゃる。人でもお金でもない「離れていかないもの」として。仮初であるかも知れないケド、ソレでも人間なんてお金なんてものも仮初に過ぎないのだから、心を委ねる先としては随分と安定シている
ワタシは信じるコトが出来た
でも他の人は信じるコトが出来ないかもしれないね?仏様よりそばに居る人間の方がよっぽど安定しているという考えの人もいるだろうネ
ワタシが人の手を取る理由はそこにある
人の心を見て、そしてワタシに全て辛いものは預けてしまえといつも人に言っている
やっている事はとても独善的で傲慢だろうネ
ワタシでも分かる、だって今ワタシがやろうとしているのは仏様が信じられないならワタシを信じればイイ、ワタシに懸想すればイイなんてこと。
仏様の代行者であろうとシている、出来てないケド
ワタシは何物でもないのに
ソレでもワタシは人じゃない何かでいつも在ろうとしている
傲慢な考えで、「ワタシは人を切り捨てることはナイのだから好きなだけ寄りかかるといい」といつも思っている
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