愛されるためには
私の母の愛情はとてもチグハグなものだった。
褒めてくれたかと思えば、同じことをしても烈火の如く怒る事もあり、また逆に良しとしなかった事もタイミングが変われば仏のような心で受け入れてくれる事もある、表向きには「しっかりした」「真面目な」「いい母」だった。
自立を促してくると思えば、私が決めた事に不安を煽る言葉で返し、私が揺らぐと優しい言葉で包み込んでくれる。
不安定な人だった。
私にとっての「善」は母が思う子どもになる事だった。
問題も起こさない、反抗もしない、笑っている子が良いのだと思った。
だから思春期に他の兄弟が反抗して悪さをする姿を見ても、母を悲しませる存在として見ていた。
それなのに母は手のかかるワガママを言って困らせ、母を泣かせる兄弟に愛を注いでいた。
私も褒められたいのに、私に降り掛かる言葉は全て鋭利なものでしかなかった。
兄が私を殴っても、私に暴言を吐いても母は兄を庇った。
母にとっての良い子が何なのか私には分からなかった。
その関係は私が成人しても続いた。
兄や弟が高校だ予備校だと学生生活を謳歌してる中、私は一足早く社会人となり福祉施設で働いていた。
私には「奨学金」という借金があった。
返すあては自分の給料のみで、浪人した兄が祖母に大学費を出してもらえると聞いたときは驚いた。
私が欲しいと思ったものは努力で決して手に入らなかったし、体を壊して働いても私を褒める人間は誰もいなかった。
兄や弟が同じことをすれば「すごい」が、私がやれば「当たり前」に変わる。
それなのに時々私に対して物凄く優しくなることがあった。
理由なんて分からない。
私はいつもそのチグハグな褒め言葉や愛情表現に困惑した。
嫌な事を言われるといつまでも覚えている性分なので「この前はこう言ったのに」と母の言葉に矛盾を感じてしまい、全く喜べなくなっていた。
でも母はそんな事覚えていない。
自分の矛盾も私を刺した鋭利な言葉も、彼女の中ではなかった事になるのだ。
それは大人になった今でも変わらない。
変わった事といえば私の考え方が変化してきた事だろうか。
母という存在が、どういう人なのか見えてきたのだ。
あの人は私が嫌いなのだと、ようやく認められるようになったからだと思う。
家族は愛し、愛されるのが当たり前と思っていた。思い込まされていた。
でもそれは、私にとってとても苦しくて、辛いだけだった。
母が死ぬまで、このチグハグな愛情は続くだろう。
それは私がこの人の子どもだから。
血は消えない、消せない。
でも、縁は切れる。
家族の誰からも愛されていないけど、今私は全く血縁でもない人たちに愛され、褒められるようになった。
家族に愛されなくても良いのだ。
親も家族も選べなくて、その人たちに嫌われているなら、私は私を愛してくれる人たちを選び、私を愛して生きていこう。
そう思えるようになった。
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