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お茶をしながらシャーロック・ホームズを囲む会 グラナダTVドラマ『入院患者』

この記事ではNHK・BS放送で再放送中のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の『入院患者』に関して正典(原作)との違いや、視聴中に気づいた小ネタなどを語りたいと思います。
正典ファンが個人の目線で、ドラマをもっと楽しく視聴できるようなポイントをご紹介できればと思います。

☆ネタバレ注意☆
正典『入院患者』、グラナダTV版『入院患者』、『ワトソンの推理法修行』のネタバレが含まれる可能性があります。

お茶の準備

こんにちは、こんばんは。
いつこの記事をご覧になっているか分かりませんが、よろしければまずお好みのお茶をご用意ください。
(飲み物を用意できる状況にない方は、次の「グラナダTVドラマ版『入院患者』の面白さ」からどうぞ)

筆者の本日のお茶

イングリッシュ・ブレックファスト(紅茶)とトフィー味のクッキー

このお茶はふくよかな香りにテレビ鑑賞を邪魔しないマイルドな風味をしています。緊迫した展開が続く『入院患者』の視聴にはぴったりでしょう。

お好きな飲み物をお手元に次へどうぞ。

グラナダ版『入院患者』の面白さ

1. 冒頭の床屋での会話

このエピソードにおける正典との大きな違いの1つといえば、冒頭の散髪屋でのシーンです。
正典ではホームズとワトソンが散歩に出かけるところから始まります。
一方のドラマ版ではオープニングが終わると、ワトソンとホームズが並んで床屋の椅子に座っていますね。

このシーンですが、単に正典にはない場面が挿入されてるわけではなさそうです!
「君のやり方を真似したんだよ。(I simply applied your method, Holmes!)」と言ったワトソンはホームズの持ち物や表情から、ホームズがなぜ床屋にいるのかについて推理を披露します。

あれ、この流れはどこかで読んだな...?

そうです、『How Watson Learnt the Trick』に似ているんです!
私の本棚にあるものはこちら。

豆本『How Watson Learnt the Trick』

日本語では『ワトソンの推理法修行』として複数の訳者さんによる邦訳があるそうです。
この話は正典60話には含まれていませんが、コナン・ドイル本人による“外典”的な物語です。(注1)
正典には、ワトソンが内心で考えていることをホームズに言い当てられる場面がよく登場します。
そんなワトソンがホームズの手法を応用して、今度はホームズの行動を推理する...というのがこの本のあらすじです。

ところで、この話で「意気揚々と推理を披露したワトソンが、その推理がまったく的外れであることを最後にホームズに指摘される」という流れが、グラナダTV版『入院患者』の2人が床屋でする会話にそっくりなのです。
ホームズが自分で髭を剃るということも『How Watson Learnt the Trick 』に出ています。正典でも言及があったかもしれませんが、具体的にどこで言われていたかは思い出せませんでした。

ドラマ版に戻りますが、
ホームズに「残念ながら真実には程遠いな(
you couldn’t be further from the truth)」と言われてしまうワトソン......
「けれど、君の言うことには間違っていない部分もある(Nevertheless, there is an element of truth in what you say)」と言われて途端に得意げになるワトソン......
対するホームズの表情は若干悔しそうにも見えます。2人の掛け合いに視聴者も思わずにやりとしてしまう瞬間ですね。

注1) Queen Mary's dolls’ house(メアリー王妃のドールハウス)のためにコナン・ドイルが執筆した話です。

2. “例の”シーン

次は“グラナダ版『入院患者』といえば”の例のシーンです。
そう、床屋からの帰り道にホームズとワトソンが腕を組んで歩いている場面です。
聞こえてくるワトソンのご機嫌な鼻歌も非常にチャーミング。
(ちなみにホームズ役を演じられているジェレミー・ブレット氏は、歌が非常にお上手です。)

このシーンは細かい部分ですが、ホームズとワトソンの衣装にご注目ください。
なぜワトソンは真っ直ぐ伸ばした襟で、ホームズだけ折った襟なのか?
初見の際は不思議に思っていました。床屋に行っていただけのようなので、襟がどの形でも良いといえば良いのですが。衣装にも拘っているドラマなだけに、何故わざわざ変えているのだろうかと思ってしまったんですね。
その後、本で『入院患者』の挿絵を見直してみると......

(こちらに挿絵を引用させていただくつもりでしたが、突貫工事で記事を書いたためパブリックドメインを探しきれませんでした。
次回以降改善します。
ということで、お手数ですがお手元の端末で「We strolled about together Sidney Paget」をコピペしていただいて検索をお願いします。
画像検索の一番上に、SPの文字が入ったロンドンの街を歩く人々の絵がヒットするかと思います。そちらをご覧ください)

ご覧ください!
シドニー・パジェットの描いたホームズの襟は折ってあります!
残念ながらワトソンの首元は確認できませんが、ドラマのシーンは2人の帽子の形やコート、どちらが腕を貸しているのかまで絵の通りですね。
シャツの襟を折っているかいないかの違いもシドニー・パジェットの挿絵を参照して決めたのでしょうか。

ちなみにこの腕組みですが、仲の良い紳士が腕を組んで歩くのは当時(19世紀の終わり頃)は普通だったそうです。
......と筆者は昔から言い聞かされてきたのですが、実際のところ、この慣習はいつごろから消えていったのでしょうか。

オスカー・ワイルドの裁判があってから人々が誤解を避けるために辞めた説・インフルエンザの流行によって離れて歩くようになった説などを耳にしますが、筆者はまだ詳しくリサーチしたことがありません。
今後の課題にしたいと密かに思っています。
既にお調べになった方がいらっしゃいましたらどうぞ教えてください。

3. ホームズのヴァイオリン

ぜひ話しておきたい、このエピソードのおもしろポイントがもう1つあります。
ホームズの弾くヴァイオリンの音色です。
このエピソードの最後では、ホームズが221Bでヴァイオリンを弾くシーンがあります。この曲は、ホームズがドラマの中で述べているように、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 第3楽章の初めの方の部分です。
前述したワトソンの鼻歌も同じメロディーですね。
ワトソンが止めてほしいと訴えるギイギイと鳴くような演奏部分は音が外れているのでわかりにくいかもしれません。
筆者は音感がないので、このギシギシ鳴らしている部分もヴァイオリン協奏曲だとは気付きませんでした。

ところで正典では、ホームズのヴァイオリンの腕前は上々であると描写されている印象が強いかと思います。
例えば『緋色の研究』では、自分の演奏技術には自信があると取れるような発言をしています。(注2)
また『四つの署名』では、ワトソンに即興曲を聴かせて眠らせてやる話が知られています。この音楽をワトソンは「夢見るような、美しい旋律」と描写しています。(注3)
ところが、ドラマ版『入院患者』での演奏はワトソンを悩ませるぐらいの調子っぱずれな音!
正しい音程が出せていないフレーズを繰り返しているということは、コンサートで聞いたばかりのこの曲はまだ練習中なのではないでしょうか。巧みにヴァイオリンを弾きこなすイメージも強いホームズの練習風景と思しき場面を入れているところも、このドラマの素敵なところです。

注2) ホームズとワトソンが初めて出会った場面で、ホームズはヴァイオリンの音は気に障るかとワトソンに聞きます。ワトソンは上手い奏者ならば良いが、下手ならば...と返します。それを聞いたホームズは「なら大丈夫」と言うのです。
Conan Doyle, “A. A Study in Scarlet”, in A Study in Scarlet & The Sign of the Four. Pan Macmillan, London, 2016, pp.19-20.

注3) Conan  Doyle, A. “The Sign of the Four”, in A Study in Scarlet & The Sign of the Four. Pan Macmillan, London, 2016, p.254.

結びに代えて

まだまだ語りたいところは探せばいくらでもありますが、空き時間に軽く読んでいただくにはこの文章も大分長くなりました。
今回はここまでで失礼したいと思います。

結びに代えて、このエピソードに限らないグラナダ版の特徴をお伝えできればとおもいます。
それは、捜査におけるワトソンの役割が拡大されていることです。
正典でホームズ自らがこなしていることも、このドラマ版ではワトソンが担っていることが多々あります。
この『入院患者』でも、221B中の収納をひっくり返して書類を探すホームズに対して、ワトソンは迷いなく戸棚からホームズが探していた書類を取り出して「これでどうだ?(any good?)」と聞きます。
どうやらホームズは片付けが嫌いのようだとは正典からも読み取れますが(注4) 、このドラマではワトソンが仕事の書類を管理しているのでしょうか。

なぜか、ワトソンは頭の回転があまりよくない、ホームズの指示で動くだけのアシスタントと思われがちです。しかし、ホームズが常に彼のドクターを「My friend and collegue」と紹介するように、彼らは2人で協力しあって捜査をしているのです。
世紀を超えて世界中で愛される221Bの住人をぜひ観てみてください。

注4) 『マスグレーヴ家の儀式書』冒頭など

以上で取り上げたドラマの台詞・本の引用などで日本語訳がなされている場合は、筆者の自訳になります。
針衣

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