今の気分はこんな音楽。
グラフィックデザイナーの職業病なのか、ついつい出かけたときに手に取ったフライヤーやショップカードなどの紙ものを捨てられずにいる。先日ファイルの一つを整理していたら2002年に企画されたgroovisions展のフライヤーが出てきた。裏面を見ると編集者・岡本仁さんのコメントが掲載されている。文の出だしはこうだ。『人は何と呼んだらいいのかわからない未知のもの薄気味悪さを感じるからだろうか、なんでもいいからとにかくテキトウな名前をつけて整理分類したがるものだ。』その後、『分類されたが最後、二度と子細に分析されることなく勝手に付いたイメージがついてまわる』と続く。なるほどと頷いてしまった。
音楽にはジャンルというものがある。どんな音楽かわかりやすく紹介するためのザックリとした分類である。レコード屋やインターネット上で好みの音楽を探すときに便利で重宝する場面も多い。しかしジャンルに上手く分類できないものなどは聴く機会を失ってしまったり、そもそも分類が細分化に細分化を重ねた現代ではジャンル自体たいして意味を持たないことも多い。例えば同じクラブ系の音楽でもエレクトロと紹介されればロック好きにも聴く人は多いかも知れないけれど、チルウェイヴと紹介されたらスルーされる事も多いのではないだろうか。人は何となくジャンル名によって興味のあるなしを判断してしまっている。言い換えれば勝手に付いたイメージで人は左右されてしまう。
ファン層から勝手に敬遠してしまうことも多い。僕自身で言うと学生時代にビートルズをあまり聴いてこなかった。理由は明快かつすごくつまらないことだった。何でもビートルズと言うビートルズ至上主義のおじさんたちが大嫌いだったからだ。例えばオアシスを聴いてビートルズの焼き直しだねとか、結局音楽色々聞いてるけどビートルズが一番だよねとか。歳をとった今となっては、その人たちの意見も理解できるし、逆に今自分たちがそういう存在になってしまっているかもという怖さを感じていたりする。シューゲイザー演奏する若い人に結局マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを越えられないよねぇ?とか、ネオアコやってる若者にもっとスミスのジョニー・マーのギター聴いた方が良いよ!とか。いつの時代もおじさんは若い世代が自分たちの理解できる事をやりだした時、ついつい物知り顔で近寄ったりしがちなのだ。そこでビートルズおじさんにならない教訓はただ一つ。昔の方が良かったと言わないことだ。新しいものを楽しむ一緒に楽しむ余裕が欲しい。
さて、そんな事を書いておきながら僕は最近気になっている音楽性を「Sleep Warm(スリープウォーム)」と名付け分類した。分類が物事の本質を捉えないということは十分承知なのだけど、悲しいかな自分なりの定義をもって分類していかなければ深く理解するが出来ないのだ。トホホ。ドリームポップというジャンル分けに収まらない少し違和感をもった人たちが増えている。違和感は何となく説明できるのだけど、それを総称する言葉がない。ドリームポップとはここ10年ほどの間に出てきたディレイやリバーブといった空間系エフェクターを多様したポップミュージックだ。そこにヴェイパーウェイヴ由来のジャズやR&Bの回転数を操作して編集して生まれる独特の揺らぎやサイケデリックな感覚を足した音楽。夜寝る前に聴くと気持ちよいから勝手にスリープウォームと呼んでいるのだけど、サイケデリックソウルでもドリーミーサイケでも実は何でも良い。とりあえず気分はそんな感じの音楽。11月に発売されたLAのバンドThe Maríasのデビューアルバム「Superclean Vol.I」がまさにスリープ・ウォームを象徴する音だ。今の時代の音だなぁとつくづく思う。
※この文章はル・プチメックのWebサイトに連載した「片隅の音楽」をアーカイブしたものです。初出:2017年12月
The Marías 「Superclean Vol.I」(Superclean Records/2017)
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