名古屋で紡がれる音楽。
名古屋には18歳から31歳までの13年間を過ごした。大学入学と同時に名古屋で一人暮らししたので思い出も多い。道に困ったりしない程度に土地勘はあるが、離れてから10年も経つので、通い慣れた店が無くなっていたり、知らない景色が徐々に増えてくる。こうなると久しぶりに帰省した故郷みたいな感覚になるから不思議だ。名古屋は僕にとって程よい距離感のある心地よい町である。
SmileTVは18歳の時に創刊した僕にとって初めてのZINEだ。今は亡きrailというレコード屋に置かせてもらい、このZINEを通して多くの共通の音楽が好きな友人に出会えた。railは90年代後半までの名古屋のインディーミュージックのハブ的な店になっていて、バンドのデモテープやZINEも数多く置かれてたはずなのに結構名前を思い出せなくなったり、忘れてしまったりしている。これは名古屋に限った話ではないが、地方は東京に比べてアーカイブが圧倒的に少ない。1998年にインターネットが普及する前の時代の小さな文化の記録を探すことは困難なのだ。
少しだけ思い出しながら書いてみる。フレネシの熊崎さんがアルバイトをしていたり、現在の名古屋のインディーを支えるFILE-UNDER RECORDSの山田さんや、Left Bankの山口さんGalaxy Trainの梅木さんといったその後レーベルを始められる方々がrailには出入りしてた。現ETTやGUIROのサポートをつとめる西本さゆりさんらによるflower bellcow、サカナクション山口一郎にも影響を与えたALL OF THE WORLD、その前身のヘリコプターというバンドをやっていた丹羽くんは現在、名古屋のミュージック/カルチャーシーンを牽引するハンバーガーショップKAKUOZAN LARDERを経営している。このへんは現在の名古屋のシーンにも繋がる線だろう。
名古屋には流行のシーンと少しずれた飛び抜けたセンスのある人々がたびたび登場する。大学時代に見たバンドだと現在6EYESの土屋さんがやっていたSURGELY AFROは、ギターポップが流行っていた90年代にあってオルガンサウンドがスパイスのThe Doors的なサイケロックをやっていてすごく格好良かったのを憶えている。少し前で言えばtigerMosが出てきたときは驚いた。日本人離れした雄大なフォーキーでポストロックな音はシガー・ロスを彷彿させながらも独自性に溢れていた。
そして現在もっとも輝いているのがCHAIである。アメリカのテクノロジー×音楽の祭典SXSWですごく注目を集めている日本人バンドがいるという話題を聞いたのは3月末のことだっただろうか。4人の女性メンバーが目が覚めるようなピンクの衣装でパワフルなステージングをする映像を見て一目でファンになってしまった。演奏はパワフルなのに誰もが笑顔になってハッピー感に溢れ、ポップなのにエキセントリック。最新シングル「ほめごろシリーズ」のラストを飾る1曲「sayonara complex」では自分のコンプレックスを前向きに受け入れ個性こそが「カワイイ」と高々に歌う。今っぽいシティポップとはまるで別次元で鳴るエバーグリーンなサウンド。10年代のアンセムになってしまうのではないかという予感すらある。名古屋の育んできた音楽シーンの最高傑作ではないだろうか。願わくば誰かCHAIへ繋がる名古屋の音楽の歴史を、関係者の記憶が曖昧になる前にまとめてくれないかなと思う。
※この文章はル・プチメックのWebサイトに連載した「片隅の音楽」をアーカイブしたものです。初出:2017年5月
CHAI 「ほめごろシリーズ」(OTEMOYAN record/2017)
女子なら誰もが抱えるコンプレックスを肯定し、“NEOカワイイ!”“コンプレックスはアートなり!”という新しい価値観を音楽で表現するCHAI待望のセカンドEP。双子のマナ・カナを中心にユウキとユナと強力なリズム隊を加え80年代ニューウェーブからヒップホップまで飲み込んだハッピーなミクスチャーサウンド。現在は東京に活動の拠点を移す。日本だけでなく世界に羽ばたくであろう瑞々しい才能だ。