人生の完成度。

7月。2021年も半分が過ぎてしまった。

誰もが言うけれど、毎年毎年あっという間だ。もちろん僕にとっても。

個人的に自分の誕生日があるせいか、毎年7月を迎えるとあせりに似た気持ちにとらわれる。

これも毎年同じだけれど、たいしたこともできないままムダに年くってしまったなーとジクジたる思いだ。ジクジたるなんて言葉を使うとこが50代後半だよな。正確には「忸怩たる」だけど。

まあ、この年になって急に人生充実させようなんて考えるのもムリな話だろう。こればかりは、自分がいままでどう生きてきたかが大きくものをいう。

自分の場合はきっと、今まで妥協してほんとうに自分の生きたいように生きてこなかったツケがまわってきてるのだろう。

ささいな部分では自分の願望を実現させてきたかもしれないが、大きな人生のワク組みについては周囲に流されるままきてしまった感じだ。受け身というか、自分のほうから能動的に今の生き方を変えようとはしてこなかった。

まあ、いろいろ理由をつけながら動き出そうとしなかったということは、それほど本気でこの生き方を変えようとは思っていなかったのかもしれないけど。

人生を変えようとすればそれなりのリスクがつきまとうし、現状でもそこそこ満足しているといってもウソじゃないかもしれない。これ以上何かを望むことはゼイタクだという心の声も聞こえる気がする。

まあ自分の生き方に満足だったかといえば、圧倒的多数の人たちがそうではないと答えるだろう。

満足か不満足かは別として「結局、自分の人生ってこれだったんだ」というものを見つけたいとは思う。大げさだが「生きる意味」みたいなもの、これのために自分は生きてきたんだと納得できるようなものを。

それはきっと目に見えるようなものではないだろう。死ぬまでにしたいことリストみたいな形では表せないもの、もっと抽象的な「人生の完成度」みたいなものだ。

中途半端にフラフラ生きてきた自分は、これはというものが見つけられなかった、だからよけいに自分の人生はなんだったのかみたいな疑念にとらわれてしまうのだろう、

残り少なくなってきた時間をかけ、フィニッシュに向けて「人生の完成度」を上げていきたい。

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