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どうしても母親である

次男が東京で数ヶ月研修に行くことになった。
今までは、コンタクト取ればすぐ会える距離にいた。

四捨五入で30歳になる息子が東京に行ったからといって、心配する必要はなさそうである。

ちゃんと家も会社から手配済みで、
通勤場からも近い。

東京に暮らしていた友人に聞くと、
自炊より外食の方が安くで良いわよ、と言うくらい楽そうである。

朝に、荷物の手配のため、顔を合わせて見送ったが、思わず涙してしまった。
次男が振り向いては手を振ってくれるので、
余計である。

数十年前に戦争に息子を見送った母親たちはどのような気持ちだったろうかと頭をよぎった。
胸は張り裂けんばかりだったのではないだろうか。

最近の天災続きも心配を加速する。

どうしても、次男を育てている間の、
あれこれと気持ちを砕いた数々の記憶が巡ってきて、
大きくなったなぁという安心感と
初めての一人暮らし、大丈夫だろうか、
という心配でいっぱいになってしまう。

身体が強いわけではなく、
体力もあるとはいえない。

気の良い優しいところが裏目に出なければいいなと思う。

しかし、
母親というのは、
育てるだけ育てたら、
あとは手を離すのが
親の勤めとなって、
それはなんとも言えない寂しい気持ちで言葉にしにくい。

こんな気持ちをするくらいなら、
子育てをする、というのはあった方がいいのか?
なかなか辛い体験です。

大抵の母親がそうなのかもしれません。
社会に出て羽ばたいて欲しいと望みながら、
手元に置いておきたいという矛盾に、
母親という立場は立ち向かわなければならない。

昔と違って良い時代になったなぁと思うのは、
SNSで連絡が取れること。

他の兄弟たちとの関係がとても生かされる良い体験になって欲しいと思う。

また一つ、成長して欲しい。

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