20200829#04講座を受けて考えたこと

今週のキーワードは「欠落感」
講義の橘川さんの言葉をピックアップしました。
囲みは私が考えたことです。

 戦後社会の発展のモチベーション「欠落感」である。ものがなかったら、ものが欲しいという強烈な欲求が生まれた。そして、それは、みんなが餓えていたので、みんなで豊かになりたい、という共同体意識があった。

戦後は労働運動が盛んであったが、それは社会が豊かになっていたので、利益配分の争いである。

 現在は何に飢えているのか?何も困っていなくて豊かになっている?
 若い人は溢れていると言っていた。
 きちんと選択できないと溺れてしまうの?
 竹内常一によると、私たちは、能力主義の教育を受けてきた。その箱に収まらなければ、不適応と判断された。その箱に収まるために適応過剰になり、家庭においても教育家庭が生まれ、適応過剰の親が生まれた。親は、良い学校へ、良い就職先へと考え、それが、子の幸せにつながると信じていた。『子どもの自分くづしと自分づくり』(東京大学出版会、1987年)

時代が変わることもわかっていて、これからどうなるかもわからない。けれどその神話に今もなおすがっている。


中国の急成長は日本から学んだ
松下幸之助が神様

共産院が正しいのではなくて、まとめやすかった。

実際には貧しかったから、
人数がおおい
食わせるのも大変

エゴイスティックな学生もいるが
貧しいから学生が頑張ったのだ。

自分だけのために頑張れない

自分が頑張ることが故郷の社会が繁栄することが信じられるから頑張れる。

日本の学生の中に、学ぶことの意味を故郷の社会が繁栄することを信じている学生がいる?
私も含めて、学ぶ意味もわからず、単位をもらうことを目的に学んでいるのではないか?
→教育改革は主体的な学びを追求した。
 しかし、それも、目指された場所があっての主体的な学び。
 臣民化だった(竹内常一)
学生にとっての真の学ぶ意味とは?

戦後社会は欠落感を持っていたから、
文化の時代

豊作になると文明が栄える
文化は栄えない
飢饉で苦しい時にアートが生まれる
豊かな時は「消費産業」が生まれるだけ

戦争で、命の欠落感を感じたり、存在の不安感が生み出した。

「豊かな社会」が実現してしまうと、人々に目的が失われ、ただ、自分自身の満足のために豊かさを求める。目指すことが目的になってしまった。
100点なのにもっと上、もっと上と・・・


そういう意味では、欠落感ではないか?
いくら点数をとっても、もっと上、もっと上と求めている、
求められている。
その競争社会に嫌気をさしている子どもたちは学校に意味を見いだせない。いけないのではなく、行かない。
行かないの意志も示せず、わからないまま。わからない。わからない。何が正しいのかわからない。希望とは何か?夢など持たねばならぬと描かされる職業に本当に夢はあるのかと疑って・・・
「やりたいことをやりなさい」
「やりたいことがわからないんだよ」

表現することが目的ではない
自分の欠落感が何か?

何がないかがわからないと
本来あってないものをどう自覚するか

満たされていたら仕事もしなくていい

満たされている・・・
そうなのです。満たされていたら仕事もしなくてもいい・・・
仕事によって満たされるものもあるのではないか???

満たされたけれど
失ったものがあるのではないか

信頼関係
環境破壊
・・・・

それは何か???

子育てで私は、がんばることが素晴らしいことという価値観を押し付けた。
私からの言葉は「がんばれがんばれ」という言葉にしか聞こえないのではないか?
「俺はそんなにがんばれない」とまで言わせる親とは・・・
がんばって欲しいって思っている時点で・・親が子どもの自立に介入していることの問題からいつまでも抜け出せていない
・・・何度繰り返しているのやら・・・自己反省

「他人は俺の可能性」
0822の講義での言葉がすごくキーワードに思う

横の精子と結合していたら
全ての他人は自分の可能性なんだ

いやないやつも
俺の可能性

すごく生意気で
違う精子だったら、自分もあーなるかもしれない

全てが自分なんだ。

他者とは自分の可能性

可能性の集合。無数の人の可能性で1つの実態を作ってやろう。

技術的な参加型というよりも、自分の他者の関係性
他者は、自分の可能性
他人に好奇心を持つ。

世界の中心に自分がいるのではない
自分が世界の一員であるということ

それに気づくこと、そういう目を養うことが学びの時間なのかな?



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