20200905#05講義振り返りと考えたこと
20代の橘川青年に影響を与えた2人の話。
<真崎・守>
作品集
橘川さんの時代は作品に惚れて、古本屋を探し回る。
このサイトの管理人の最中義裕さんは、インターネットで情報を収集。
この真崎・守図書館には、真崎・守の作品集が集められている。
このサイトからは橘川さんが感じたインターネットの可能性が読み取れる。
橘川さんに影響を与えた真崎・守さん
作品に影響を受けると同時に、真崎・守さん本人に可愛がられ、漫画を描くアシスタントではないけないけど、真崎・守のアトリエにいつもいたという。
橘川さんの深呼吸する言葉
「才能とは、自分にとって大切な人と出会う能力。
努力とは、出会った人ときちんと付き合う能力。」
出会った人ときちんと付き合う能力が努力だ。
付き合うというのは受け取ることだけじゃない。もらって自分も渡す。
立派な人には返せていないが、返そうと努力する。自分のものを返そうとする。
絵は描けないけれど、そこにいた。
出会った人ときちんと付き合う能力が努力だ。
付き合うというのは受け取ることだけじゃない。もらって自分も渡す。
立派な人には返せていないが、返そうと努力する。自分のものを返そうとする。
私の勝手な解釈だが、出会いの時点で、ほぼ橘川さんは返していたんではないかな。
真崎・守批判に対する反批判をした。その時点で、真崎・守にとって、橘川さんは圧倒的な味方である。そのご橘川さんの社会的デビューとなる真崎・守との対談の機会を得て、橘川さんは真崎・守と友人となるのだ。
真崎・守の闇の世界。表現者としての揺るぎない姿
闇を表現する真崎・守に橘川さんは
「お前は、ここがすごいよ」と褒めてもらう。
もう1人の影響を受けた人
<岩谷宏>
1972年、渋谷陽一・松村雄策・橘川幸夫らと、ロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊。
創刊時より、ロック評論、エッセイを執筆し、訳詞を手がける。初期ロッキング・オンの理論的指導者でもある。
1980年代前半、商業路線を歩むロッキング・オンを離れ、1980年代後半以降は、ラジカルなコンピュータ文化に希望を託し、主にコンピュータ関連の著述・翻訳活動に取り組んでいる。
橘川さんが岩谷さんから受け取る言葉
「お前は甘い。未だ全然中途半端だ。」
真崎・守「お前はすごいよ」
岩谷宏 「お前は甘い・いまだ中途半端だ」
2つの価値観を行ったり来たり・・・
「ひとりだけを師事していたらいまの自分はない。」
「出会うことは才能で、付き合うことは努力
ただ尊敬するじゃない、ただ手伝いじゃない
一緒に何か作る、一緒に何かやって、付き合うということになる。」
以上を受けて・・・
<所感>
20代の橘川青年は、相対する2人のメンターの価値観の中で行ったり来たりしながら成長したのだ。
ただそこに存在していたのではなくて。一緒にいたという実感。
ただ一緒にいたのではなくて、一緒に何かをつくってきたものがある。
一緒に何かを作っているときって、楽しいに決まっている。
自分に厳しい人の言葉だけでなく、自分に優しい人の言葉だけでなく
その両方があるから自分が成長できるということなのだろう。
そう考えると、私はいつも叱られていた。叱られた人で忘れられない人がいる。
私はちっぽけすぎて叱られたことに恨みを持っているのかもしれない。
そのおかげで成長できたことを感謝しながらも、その人が私にかけてくれた期待や私に感じてくれた可能性を受け取ることができていなかった。
それに対して私が思い出す優しい人の存在は、私に道を開いてくれた人だ。私は出会っている。私の可能性を感じて道を開いてくれる人に私は出会ってきた。
いつも、出発は思い通りに進んでいる。
私は、出会う才能があると思う(^◇^;)
では、私は付き合う努力をしてきたかな。。。
高みを目指しておきながら、そこで出会った人に尊敬や手伝いはしていたと言える。でも、劣等感と罪悪感で言い訳をして覚悟を決めずにいたのではないかな。その人たちと「一緒に」そこで何かをつくろうとしていたかな?
<改めて橘川さんの言葉>
「他人とは自分の可能性であり、自分とは他者の可能性」
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