私なりの可能性の理論
私は若者と接していて、若者の可能性を信じているし、可能性の扉を開くきっかけを自分の授業に仕掛けたいと考えている。
授業の目的がそれと言っても良いくらいだ。
授業がその人の人生を変えるかもしれない。そのくらいのことが起きるかもしれない。
しかし、それは、非常勤講師、しかもコンピュータの操作を教えてくれたらいいよ、と思われているパートタイマー労働者に求められていることではないだろう。
だから私はいつも怯えていた。
誰かに、叱られそう。
学生の可能性を開くって大それたこと、あなたにできるわけがない。
そんな言葉も聞こえてくる。自分にそんなことができるはずもない。
ただ、私は、39歳の時にこの仕事をもらうことになり、学生に教えることを仕事にすることが「挑戦」だった。
私は「挑戦」とゆうことをそれまでの人生で本気でしたことはなかった。
初めての授業を終えた時、学生からの通知表が届いた。
私は、人生で1番良い通知表を手にした。
私が考える授業の「可能性」を感じたのだった。
可能性を感じたとき、私は胸に「希望」がわくのを感じた。
おばさんでも、「希望」を感じるとこんなにワクワクするんだ!
いつからでも可能性の扉を開くことはできる。と、その時に感じた。
そこで私が導いた可能性理論は
「挑戦」をすると→「可能性が開く」→「可能性を感じる」と→「希望」がわく
なので、私の授業の仕掛けは、「挑戦」。
何をしたいのだろう?どうなりたいのだろう?と学生に問いかけ、学生の未来への語りを引き出すこと。
可能性の扉を開くのは学生自身なので、結局私は何もしていないも同じなのですがね。
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