20200901深呼吸する言葉
・母の愛は自分を犠牲にしているように見えた。しかし、子供のために生きる幸せってものがあることを子供を持って知る。
・愛とは願いだ。
母は子供が生きがいだ。今も、子供や孫のことばかり考えている。
中高生時代は、自分を犠牲にしているように見える母の生き方は絶対に真似をしたくないと思った。
母は戦後中学を出て仕事をした。
本当は学びたかったのだと思う。姉や弟のために働いた。
母は、娘の学ぼうとする姿を応援した。娘は学びに一生懸命ではなかった。
「ご苦労様」と塾の帰りを待ちご飯を出してくれた。私はただ寄り道して帰っただけ。
大学進学について、父は働けと言ったが、母は、四大は無理、短大ならばと短大に行かせてくれた。
多分、母は、学びたいならば学ばせてあげたいと考えたのだと思う。そこに彼女の夢が乗せられていたのではないか。
私は、その願いを30年後に知ることになった。
短大入学時に買ってもらった勉強机が30年後に私の手元に戻ってくることになった。私は学びの場に再度挑戦するタイミングだった。
毎日その机に向かった。学生時代は、こんなに勉強をしていなかった。
母の願いが、そのときあったのではないかな。母の生きてきた背景などに想いを馳せると、そこにあったであろう願いに気づいた。
私は親孝行を何1つできなくて、高い授業料を払わせたのに、その後も、親に孝行することはできておらず、日々心配をかけるばかりで、申し訳ないと言う気持ちしかなかった。
しかし、母の願いがそこにあったのだと気づいたとき、それも親孝行であったのではないかなと思った。
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