2020822#03講座を受けて考えたこと

裏側の世界

歴史の教科書に載っていることが全てなの?

歴史上の悪者も、そのきっかけを作ったのは、元々あった抑圧や差別だった?_

勝った方が歴史の教科書に載っているんだよ。

全く記録に残っていない、そこに隠れた歴史があるのではないか?



私は、この2年生活指導論という教育運動を研究していた。

初期指導者の宮坂哲史(1918~1965)は、戦後1950年代から60年代前 半にかけてのわが国の生活指導運動における中心的な指 導者であった。その活動は、近代学校の生ん だ問題への批判意識と密接にかかわっている。

「個々の生徒は、一方では、群衆のなか に埋没され、見失われ、教師との人間的接触から遠去けられ、他方では、教えこまれるべき教材、知識の重圧のられ、他方では、教えこまれるべき教材、知識の重圧のもとに、その個人的主観的な生活適応の問題をいっさい無視されるばかりでなく、断片的知識のために人格的統合をもそこなわれるに至った」宮坂はそれを学校の工場化、非人間化、あるいは教育における形式主義とよん だ。(宮坂哲文『生活指導』、朝倉書店、1954年、P.25。
(宮坂哲文r生活指導と道徳教育』、明治図書、1959 年、P.12-13。)

宮坂を引き継いだ竹内常一は、近代教育改革における能力主義を指摘していた。1990年代新しい学力感を「臣民化」という言葉で批判していたことは衝撃的に受け止めたことを思い出した。

私が、このような活動に注目したのは、学びの本質とは何かの研究であったと思う。

子どもたちが勉強して能力を伸ばすことは社会のためであるが、その社会とは誰のための社会だったのか?

一生懸命頑張って学校という仕組みに乗る次男は、一見、世の中の人に自慢できる息子に見えた。しかし、竹内が「適応過剰」と指摘する能力主義に乗せられる子どもに重なり、本当にこれで良いのかと自分の中にあった違和感と重なった。

私自身は、能力主義に歯向かっていた。ちょうど1970年代後半の3年B組金八先生さながらの風景が中学校時代だった。しかし、それは世の中からはみ出してしまうこと、私のように子どもたちを枠からはみ出させてはいけないと思って子育てをした。しかし、それは過剰適応している親の姿だったのだ。竹内常一は、過剰適応する親の問題も指摘していた。


見えている世界だけを見ていると、そこだけが正しいようで、正解は1つしかないようにみえる。その枠からはみ出てしまうような私はダメな人間とずっと思ってきた。けれど、そういう違和感を持てる動物的な勘、今も直感でこの深呼吸学部に入学したけれど、そんな動物的な勘がこれからの時代に求められるのではないだろうか?(^^)


とにかく私は社会科が苦手だった。この後の16号線の話も素晴らしい展開だったが、そういう教科書に載っていない話は面白いな。こんなに面白い話ばかり聞けたら、もっと社会科が好きになったかもしれない(╹◡╹)♡


そうそう、もう1つ気になった。「今の社会システムは団塊の世代が作ったと思っているかもしれないが、その前の世代、戦争を知っている人が作ったのだよ。」

戦争を知らない世代が、戦後のシステムを作ったらどうなっていたのだろうか?


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