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『情報化社会』林雄二郎(1969)読書会から何を学んだか

深呼吸ゼミで『情報化社会』林雄二郎著(1969年)のバンドに参加した。
今回は本を題材としており、バンドメンバー各自が色々な視点で発表をするという形ではなく、まず自分の主観を挟まずにこの本をしっかり伝えることが大切だということになった。なぜなら、「情報化社会」という言葉から受け取るイメージと本書で伝えていることが違っていたからだ。林の目指していた情報化社会に私たちは向かって来れたのだろうかと、反省せざるを得ない内容が述べられていた。

情報化とは、いわゆるコンピュータ化、インターネット化、IOT化のことを言っているのではなかったのである。

私の主観的感想を述べる。
人は人なのだと私たちは自覚しなければならない。
ロボットに仕事を奪われることを恐れるのではなく、私たちがどんな未来を創っていきたいのかを描かなければならない。そのためにどう技術を使うのかだと思う。林が未来を描いたように、私たちも未来を描かなければ、得たい未来を得ることさえできない。

欲求不満を満たすための情報に溢れてしまった現代に、若者が自身に必要な情報だけを受け取り、そのつながりだけを信じるのは「情報」とはそういうものだからだ。ただ垂れ流しの情報が情報なのではなくその人にとって、「影響力のある何らかの知らせ」だけがその人にとっての情報なのだ。

しかし、林は、世代間格差を予測した。その断絶をどうしたものかと投げかけている。林を私が研究したいと思った最大の理由は林が述べた「共生」(ぐうしょう)を探求したいからだった。橘川さんの講義でこの考えに未来の可能性があるように感じたからだった。

『情報化社会』の発表会には林さんの息子さんが参加された。世代間格差があることが前提であり、違う人が集って、違う意見があることそれこそが「情報化」なのではないですか、とおっしゃっていた。父と私は全く違うことをしてきたのですよ。と。そういうものでしょ。違うからいいんだよと聞こえた。

エコーチェンバーやフィルターバブルという現代の問題を聞いたとき、必然なのだから仕方がない、これも若者の自己防衛だと私は感じていた。
しかし、林さんの息子さんのお言葉をいただいて、違うことを知り、違うことを乗り越えていく、そこの過程にこそ、林が目指していた情報化社会の、人間ありきの目指すべき姿があるのではないかと感じた。


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